院長の独り言【2014年 平成26年】

<院長の独り言 パート141>
『クリスマスのトリビア 第3弾 〜アメリカで確立されたクリスマス〜』

さて前回は『孔子の教えに学ぶこと』についてお届けし、お送りしました。
今回は『クリスマスのトリビア 第3弾 〜アメリカで確立されたクリスマス〜』 についてお話したいと思っています。

アメリカで確立されたクリスマスについて17世紀に、アメリカのニューアムステルダム・・・のち、イギリス領となりニューヨークとなった場所に移住してきたオランダ系プロテスタントによって、聖ニコラウスの伝説がこの地に持ち込まれ、それから年月が経ち19世紀になると、作家のアービングが「ニューヨーク史」(1809年)で、馬にのってやってくるドイツ風の聖ニコラウスをアメリカで紹介しました。トナカイでなく馬であったそうです! 
 そして決定的に、今のサンタクロースのイメージを確立したのが、詩人のクレメント・ムーアによる「クリスマスの前夜」(1823年)。

1.そりをひくトナカイ

2.サンタ・クロースのしぐさや笑い声

3.妖精のサンタクロースが煙突に登る

と言った感じだったようです。  

馬がトナカイに…   聖ニコラウスがサンタクロースに…  といった感じでしょうか???

そして挿絵・風刺漫画家のトマス・ナストが1860~80年代に「ハーパーズ・マガジン」誌のクリスマス号に描いたもので、ほぼ完成します。

1.サンタクロースは赤い服を着て、眼鏡をかけて、太っている。

2.仕事場は北極にある。

3.よい子と悪い子を分類したリストを持っている。

そしてこれが1930年~40年にかけて、コカ・コーラ社の広告のイラストでも起用され、これによって広く普及していくことになります。 コカコーラのCMはクリスマスの時期とても気を引くものなのが納得できる感じです。
(私としては 最近はケンタッキーや携帯電話のクリスマスCMも大変気になるところです。)

とまあ、サンタクロースというのは見てお解りの通り、非常に長い歴史を持つ一方で、意外と最近に作られたイメージというのがお解り頂けるかと思います。そして、貧者を救うというものから、いつの間にか子供に物をあげる、さらにはクリスマス商戦のイメージキャラクターと変貌してしまったわけで、この辺に違和感を覚える人も少なくないそうです。

そのため、ドイツ・フランクフルトのカトリック団体は、プレゼントの買い物に大騒ぎする堕落を嘆き、各地のクリスマス市で、米国流の「サンタクロース進入禁止」のステッカーを配るなどの活動をするなど、伝統回帰運動も始まっているようです(共同通信 2004年12月24日配信)

発祥地 アメリカが悩むクリスマス

ところが、そんなアメリカンなクリスマスですが、やはり元々はキリスト教系のお祭り。従来にも増して多民族、他宗教国家になってきたアメリカでは、この対応をめぐってかなり悩んでいるようです。
(読売新聞2004年12月23日記事)-----------------------------------------------------------------------
▼サンタクロースや「ジングルベル・ロック」はOKだが、イエス・キリスト、「きよしこの夜」はダメ。

▼オフィスで開くのは「クリスマスパーティー」ではなく「年末パーティー」。「クリスマス休暇」ではなく「冬休み」。

 「政教分離」と「信教の自由」を憲法修正第1条で定める米国では、クリスマスの宗教色はかなり薄まっていた。政府庁舎など公共施設ではクリスマスの飾り付けが見られない。イリノイ州の小学校は昨年から、スクールバスの中でクリスマス曲を流すのを禁じた。

クリスマスツリーについてさえ、「宗教的なシンボル」として、「私企業のオフィスなら良いが、公共の場では禁止」(フロリダ州パスコ郡)や「コミュニティーツリーと言い換えるべきだ」(カンザス州ウィチタ市)といった、日本人にはにわかに信じがたい条例もある。

今年は大手デパート、メーシーズが顧客への宣伝で「クリスマス」の表現を取りやめたことから、ついに不買運動が起こった。そして 宗教問題に詳しいラザフォード研究所のジョン・ホワイトヘッド所長は「ハヌカ(ユダヤ教の神殿清め祭)、クワンザ(黒人の収穫祭)は認められているのに、なぜクリスマスはいけないのか。逆差別されていた多数派(キリスト教)が怒り、振り子は逆方向に戻っている。このような不満に宗教右派の存在が火をつけた」と、例年になく騒がしいクリスマスを分析する。
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実際のところ、イスラム教系国家であっても、なんとなくクリスマスを祝っている国もありますが・・・
一度神経質になり始めると、徹底的に排除しなければ気の済まない人というのも出てきますので、全く困った問題です。他宗教を保護するためにキリスト教的な物を排除した結果、余計に宗教間の対立が深まることだけは勘弁して欲しいですね。

平成26年12月2日

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<院長の独り言 パート140>
『孔子の教えに学ぶこと』

さて前回は『いい人は成功者になれない ~こんな本を読みました~』についてお届けし、お送りしました.。今回は『孔子の教えに学ぶこと』についてお話したいと思っています。

孔子とは 中国 春秋時代の思想家、哲学者と言われています。儒家の創始者でその弟子に孟子(性善説:人はもともと善である)と荀子(性悪説:人はもともと悪である)がいました。

孔子の最も説きたかったことの一つに「仁」があります。
「仁」は人間関係の基本にあるもので、主に「他人に対する親愛の情、優しさ」を意味しており、儒教における最重要な「五常の徳」のひとつ。また仁と義を合わせて、「仁義」と呼ぶ。
古代から現在に至るまで中国人の倫理規定の最重要項目となってきた。中国の伝統的な社会秩序(礼)を支える精神、心のあり方である。
さらにいろんな国を渡り歩いた孔子は「君子たるものは仁者であるべき」と説いています。
なお、孔子は、『論語』のなかで「仁」について明確な定義をおこなっておらず、相手によって、また質問に応じてさまざまに答えている。言い換えれば、儒家の立場においては「仁」とは人間にとってもっとも普遍的で包括的、根源的な愛を意味するものとして考えられてきたのであり、「孝」や「悌」、「忠」なども仁のひとつのあらわれだと主張されているのです。

さて代表的な教えに少し紹介します。

君 臣を使うに 礼をもってし、臣 君に仕うるに 忠をもってす
人をして信無くんば その可なるを知らざるなり

→君主は臣下を正しく礼遇し、臣下は誠実に本分を尽くすべきで、人に信用する心がなければうまくいくはずがない。

仁は 人が荷物を担ぐ様を表す(にん辺に右は二本の棒=表意文字)

→これは重い責任と忍ぶ人の心を表し、また二人であるならその双方が負うべき責任と礼節の関係性を表している。

巧言令色 少なし 仁

→口先ばかり上手で上辺だけ(巧言)、かつ愛想の良い顔をするもの(令色)に仁徳はない。

忠恕

→他人の身の上を自分の身の上と重ね、親身になって思いやる事。
忠恕(ちゅうしょ)とは、孔子の唱えた人間の最も本能的で基本的な徳。「忠」は人間が自然に持っている真心。「恕」は人間が自然に持っている思いやりの心忠恕をひとつの漢字「仁」で表す。

以上、特に孔子は「仁」を突き詰めて考えていて、人がよく誤り考えてしまう自分勝手、自分中心にいることやその場しのぎが通用しないこと。また他人を思いやっているようで、実はその実自分の都合勝手を中心にしている事が多く、それは「仁」からかけ離れたものであること…そして徳を失う行為であると述べています。

南総里見八犬伝で「仁義礼智忠信考悌」という不思議な球を持つ勇者(八犬士)たちが因縁のある玉梓(たまずさ)の怨霊と戦う物語であるが、その中にやはり儒教の教えがあり、作者の滝沢馬琴は伝えたかったのである。私は小さいころにこの八犬伝のトリコになったので、一度はこの場所で書いてみたい話でした。

今回、かなり趣味的で申し訳ないですが、皆さんは何かをお感じになられたでしょうか?
「仁」はなかなか難しいものですが、日々徳を行えばたどり着けるものと思います。私も、気を付けて行動していきたいと思っています。

平成26年11月2日

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<院長の独り言 パート139>
『いい人は成功者になれない ~こんな本を読みました~』

さて前回は
『さいき塾 ~若い人達と一緒に考える~』についてお届けし、お送りしました。 今回は『 いい人は成功者になれない ~こんな本を読みました~』 についてお話したいと思っています。

冒頭にかなり過激な感じの タイトルでごめんなさい。 しかしこんな刺激的なタイトルの方が
見たくないけど行きたいお化け屋敷?や 乗るのが怖いけど覗いてみたいジェットコースター?
のように惹かれてしまいます。

この本は里中李生さんという方が書かれています。何度か読んだことがありますが、この方は凄く男っぽい方で、いわゆる凄くもてる方なんですが、ご自身の著書でも書かれていますが、かなり厳しく誹謗中傷も受けるようです。そのことを何の衒いもなくかけるのが凄いですし、これは当たり前のことに思います。決して「いい人」をいっさい主張せず嫌われようが、憎まれようが自分の考えを堂々と言うからとご本人はおっしゃてます。アンチも多いがそれ以上に強烈なファンがいてロングセラーの本を連発されています。

ここで一つ 「いい人になるな」 が成功の唯一の方法とおっしゃてます。

かいつまんで言います。

もてる男は強烈な自己があり、目に見えない力(魂とかオーラなど)を信じ二流三流の空間
には気づくので必ずいない。そして無理しても一流に触れようとする。
タフ(肉体的、精神的)で、頼る男でなく頼られる男へ…
そして決断力を持ち 何を捨て何を守るのか? をはっきりさせよ  ということである。
 さて この中でひとつだけ詳しく話をしてみます。
「人望のない男の 致命的欠陥」 について
人は困ったときに相談する。しかしその相手が間違っていたら大変なことになる。
特に相談してはいけない相手は「今が楽しければいい」という 刹那的な考えの軽い男=複雑な人間関係を嫌う傾向にある。このタイプの多くは相談しても実もない話である。
またこのタイプは 重い話、楽しくない話は実は拒否であり また干渉を嫌い他人のプライバシーにも興味がない。したがって普通に拒否されるが翌日にはケロッと「おはよう」といえる人。明らかに「軽い人」である

では どんな相手を男を選ばないといけないか?上司を選ばないといけないか?

一言でいうと
 「話を真剣に聞いてくれる人」 である。 こういう人は 唯聞くだけではない。話を聞いた後、解決に一緒に向かってくれる人…任せた といってあと気にかけてくれない人は 相談しない方がいい。
むしろおせっかいなくらいの方が 最初はうっとうしいかもしれないが 懐が深く、余裕のある人でそういう人に相談したらよい。他人のために動いているのでなく、懐の深さで動くのである。

平成26年10月2日

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<院長の独り言 パート138>
『さいき塾 ~若い人達と一緒に考える~』

さて前回は『–サイトにおける言いたい放題 ロンブー淳のツイッターから考える匿名について-』についてお届けし、お送りしました。
今回は『さいき塾 ~若い人達と一緒に考える~』についてお話したいと思っています。
今回のまず「さいき塾」は 何なのか? から話をせねばなりません。「さいき塾」は 数年前とある薬品関係の業者さんからの提案で始まりました。
ある時講演を依頼され少し変わった話をいたしました。人、組織について…

その時の話がとても印象的だったのか? 所長さんから今後の若い人達への教育をお願いできないか? との打診を受けました。私は基本人を育てるのは大好きです。自分の成長も一緒にありますが何かを受けてそして感じることで変われたらそんなに嬉しいことはありません。

いつも約20人くらいで1-2カ月に1度程度集まります。

業者さんとうちのスタッフの若手です。題材は一つ。それについて深く話し合います。たとえば「仕事」などなら、なぜ仕事をするのか? モチベーションを保つにはなどなどいっぱい話し合います。実に多くの意見が隠れています。

特に我々の医療施設は今までの慣習が閉ざされた世界でした。私は閉ざされた世界で生きてきたための不便が大変たくさん起こってきた…そう感じるようになってきました。閉ざされたことによって、医療施設の人間は外の情報をほとんど知らずに生きてきました。いや、知らずに生きることができたというのが正解かもしれません。また多くのパラメディカルスタッフ(医師以外の医療業種の方々)は、言われた事はできるが自分で考えることが苦手であります。しかしながら、一般の業者さん(薬を扱う業種、医療の材料を扱う業種)はもっとシビアであります。

当院としてもスタッフがそういう同年代の方々の話を伺うのは大変役に立つと考えています。

業者さんも実際の医療現場の考え方を学びたいと思っておられます。この会でももっとも思うのはやはり人間力がものを言うのだと思っております。

会を始めたばかりのある女性業者さんはすっかり軸のぶれない生き方をされたのでしょう。すっかり変化されました。きっとピンチもいっぱいあったのでしょう。とてもよくわかります。なんにしろ、人が変わっていくことはとてもエネルギーがいるし、また見ている方は頼もしくなってきます。我々も刺激を受けてしっかり順応し、目的をしっかり見失うことなくまっすぐに進んでいけたらこんなに幸せな事はありません。違った畑の方とお話しできる私の環境はとてもラッキーです。

皆さんもそんな環境をお持ちでしょうか?

平成26年9月2日

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<院長の独り言 パート137>
『–サイトにおける言いたい放題 ロンブー淳のツイッターから考える匿名について-』

さて前回は
『–松下幸之助 政治を語る-  政治は他人ごとではない』 についてお届けし、
お送りしました.
今回は『–サイトにおける言いたい放題 ロンブー淳のツイッターから考える匿名について-』 についてお話したいと思っています。

先日(2014年5月末)、ロンブーの淳のツイッタ-炎上がまたまたあった。なぜこの人はこんなによく炎上するのか?? 単に人の性格の悪さではないと感じて少し調べてみた。
近年では 竹島のこと…を日本の領土といったことで韓国人からバッシングを受けたり、ロリコン という悪口を言われ
「たったの数人しかフォロワーのいないお前に影響力もないだろう。そういうお前がロリコンだろう」
と返してみたり…かなり激しい応酬をやっています。

また一般人にマジ切れすることも多く、 反省している面もあって。今日はこの点に焦点を絞ってまいります。最近このような相談を受けたからですが…
 ロンブー淳さんのそのままをここに記載します。

最後に…これだけ書いても僕に罵詈雑言浴びせてくる方々がいると思うけど、全ての人に理解はしてもらえないのは解ってますが、できるだけ多くの人に理解して貰える様に頑張ります!あともうひとつ、名前も顔も隠してる人達に汚い言葉を浴びせられるのは嫌です…できるだけ優しい言葉で会話しましょう!

これとてもよくわかります。
先日相談を受けた友人も相手の顔も名前も匿名でいるわけです。どうせするなら、悪口や批判をするのなら、どうどうとすればいい。結局、陰にかくれてやるもんだから 大変人間としてはあまりよくないと思います。人を否定的にいう方の多くは必ずと言っていい程匿名で私は大変残念だと思っています。

私も若いころに経験がありましたが、多くのことから学びました。
(1)批判をするならどうどうとすること(匿名などしない)
(2)悪口や批判を聞く耳は持ちますが、気にしない(同じ考えの人間はいないので仕方ない)
 →以前中国の孔子について話しましたが、10人すべてに愛される人はいないし、善人でないだからいつまでも気にしなくていい
(3)相手の個人名はわからないようにする

 友人も誰かわからない相手にほとほと気にしていたようですが、私のアドバイスもわりと効果あったようです。芸能人でもだれでも完璧な人間はいません。私も同様です。私に対して完璧な人間を求められても(よく医師だからなのか?望まれます)私も完全な人間ではないし、ありえない。期待をして下さるのはありがたいですが、過剰な期待はちょっと困ります。だから、その友人には「気にするな。顔も形もわからない人はそれだけのもの。」
そもそも匿名で出している話など気にする方がおかしいのです。
単なる悪口でしかありませんから気にしなくていいのだ… と私は人に助言します。

人の目を気にしすぎると人間の成長にストップがかかります。
私も多くのネガティブ感情を吐き出したこともあります。先ほども申しましたが、完璧ではありませんから…。しかしそれはその時代に必要だったこととも思っていますし、自分をよく見せようなど思ってもいません。友人も今はそういう時期なんでしょう。
さあ、そんなことは忘れて明日へ向かいましょう。

ロンブー淳のツイッターに私は近い感覚を感じました。あまり品の悪い言葉での罵倒の仕方は感心しませんが…
皆さんもぜひ人に批判をするならどうどうと言いましょう。そしてできるなら相手の個人名など上げないことも大切な気がします。

是非友人にそんな人がいたら、是非「みんな、完璧ではないから気にしないで… 自分で修正可能ならしようね。 あるがままでいこう」 とアドバイスして差し上げて下さいませ。

平成26年8月2日

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<院長の独り言 パート136>
『–松下幸之助 政治を語る- 政治は他人ごとではない』

さて前回は
『–妄想を考える- 人間みな妄想に取りつかれるとしんどいよ』についてお届けし、お送りしました.
今回は『–松下幸之助 政治を語る- 政治は他人ごとではない』について
お話したいと思っています.

私は松下幸之助氏が大好きなのでかなり偏り気味かもしれませんが…..
4月末か5月初旬に、私はインターネットで見たと思いますが、West経済という中で松下幸之助さんが政治についてお話されていたのを拝見いたしました。そのタイトルは「松下幸之助」が見据えた100年後の日本の姿は「無税国家」「新国土創成」という タイトルでした。

松下幸之助氏が94歳で他界(1989年4月27日)されて早や25年4半世紀たちます。その中で 「憂論 日本はいまなにを考えなすべきか」。松下電器産業(現Panasonic)の松下幸之助とソニーの盛田昭夫による昭和50(1975)年に出版された対談集 が紹介されていました。

これは大変珍しい対談です。なぜならば電機業界のみならず日本を代表する経営者2人の異例の対談であり、内容は戦後30年を経て日本が直面する問題についての辛辣(しんらつ)な言葉が飛び交うからでありました。昭和50年といえば、高度成長期が終わり、48年の石油ショックなど厳しい時もありましたが、それでも日本経済の歴史の中では「安定成長期」でした。また同時に、国民の多くがまだ日本の勢いに酔いしれていた時期だったのであります。それにもかかわらず、幸之助氏は提言や著書で日本の未来について警鐘を鳴らし続けたのです。

83歳の高齢で決意した「松下政経塾」設立

松下氏は「独自の国家観を持っていただけに、当時の政治の状況とギャップがあったのだと思う。日本の財政、経済のあり方をとても心配していた」。松下政経塾5期衆院議員が振り返りました。昭和50年には初の赤字国債が発行され、松下政経塾塾頭の古山和宏(55)も「日本の繁栄がうわべだけの繁栄で、真の繁栄ではないことを分かっていた」と語っています。

皆さんもよくご存じの本のPHP研究所(京都市)を設立し、40年代後半からは自ら政治関係の著書を相次ぎ発表するが、幸之助氏の中には「それでも世の中は変わらない」とのいらだちが募る一方のようでした。何が足りないのか。「やはり人か…」。実は、幸之助氏は41年に松下政経塾の構想を披露するが、周囲の反対で断念していた。それから10年あまり。次代を担うリーダーが必要との結論を再び出す。まさに83歳のときでした。経済ジャーナリストの財部(たからべ)氏(57)は「幸之助氏は、政治家を育てるという土壌を変えることで政治を変えようとした。当時としては卓見である」と評価しています。

「政経塾で死ぬことができたら本望や」

今にも雨が降り出しそうな曇り空の下、石造りの門をくぐり抜けると、高さ約30メートルの塔と「民主主義発祥の地」として有名なギリシャの建築様式を取り入れた建物が目に飛び込んできた。神奈川県茅ケ崎市。34年前の昭和55年4月1日。松下政経塾の第1期生入塾式も同じように悪天候の日だった。

「ここで死ぬことができたら本望や」

風邪で体調を崩していた幸之助に対し、式終了後に周囲が「大丈夫ですか」と声をかけると、こんな一言が返ってきたという。パナソニック副会長で、幸之助氏の孫にあたる松下正幸(68)は「政経塾はパナソニック同様、幸之助にとって子供、孫のような存在でしたから」と話す。自ら塾長に就いた幸之助は、意外にも塾生に2つのことしか求めていない。政経塾には幸之助の講話など計91時間27分の肉声テープが残されているが、松下政経塾政経研究所所長の金子一也(46)は「『国家ビジョンをつくる』『それを実践する』ということしか言っていない」と明かす。

日本に必要なのは「国是」

「経営理念」を持たない企業が欧米など海外にとどまらず、近年は日本でも増えている。しかし、幸之助氏ほど経営理念にこだわった経営者はいない。金子は「何のために、何をするのか、ということが分かるまでは動かない人だった」という。

幸之助氏は企業に「社是」が必要なように、国にも国家経営の基本方針で、国民共通の努力目標となる国家ビジョン、つまり「国是」が求められると説く。その研究と提言を政経塾に託したわけだ。

国是は長い年月をかけてやり遂げる、まさに「国家百年の計」。幸之助氏は、塾生に対し「政経塾は、日本の政治は100年先にはこうなると発表する。それをしなければならないことを塾生に皆得心してもらう」と話している。

100年後の日本とは???。

幸之助氏がたどり着いた答えは(1)「無税国家」と(2)「新国土創成」である。ただ、これらは政治家を志しているとはいえ、20、30代の若者には手に負えない壮大な難作業と考えられます。

ここからは私見でありますが…..
さて今の国家はどうか? 一時的な消費税増税ならOKと思う。そういえば、田中角栄元首相も辞任後ではあるが、減税を目指した財政計画が重要と事あるごとに言っておられたのを思い出す。税金は支払うべきものであるが、それを少なくするように努めるのは政治家ではあるまいか???私はそんな風に思う。人気取りではない。国民の生活を守る行為が優先されていいはずである。最近の公務員の給与上げにはほとほとあきれてものが言えない気分である。
しかも増税後のこの時期にである。税金が少ないのであれば、給料が出ないのが公務員であろう。

『新国土創成論』は、200年にわたって理想の日本国土を創成しようという提言の書であり、「諸悪の根源は国土の狭さにある」としたこの提言は、日本の国土の約70%を占める山岳森林地帯の20%を開発整備するとともに、その土砂で海を埋め立てることで、計15万平方キロメートルの有効可住国土を新たに生み出し、現在の有効可住国土を倍増させ、住みよい理想的な国土にしていこうという壮大な計画でした。

日本はアメリカの25分の1の国土面積内に1億2,400万人もの国民が生活しているが、当時のGNPで世界第2位、単位面積当たりのGNPではアメリカの13倍にも及ぶ発展をしてきました。国土が狭いことは効率的である反面、東京一極集中、地価の高騰、貧しい住宅環境、交通渋滞、大気汚染など様々な問題を引き起こすようになり、またかえって国土の狭さが国民生活の向上にとって大きな阻害要因となっているということと、国家の大計が必要であるという考えから、松下塾はこの『新国土創成論』を新たな国家目標にして国家事業として実現していくべきであると発表したのであります。

具体的には25年間をかけ「新国土創成」構想の(1)計画立案(2)周到な調査研究その後22世紀の終わりまで200年間をかけての段階的な実施から始まり、「国土創成省」の創設、若者を中心とした「国土創成奉仕隊」の結成等を提案。

また、事業資金の調達法として低利の「国土創成国債」の発行や、国債購入者への所得税の減免と新国土の配分の優先資格の提供、そして、創成された人工島の一つを国連管理の「国際自由都市」とすることまで計画されている。この「新国土創成」により、日本のバランスある発展、住宅問題の解消、食糧問題の解決、自然の猛威の克服、科学技術の進歩発達、景気の調整機能が発揮され、さらには国民共通の大目標に挑むことで国民精神が高揚し、活気ある国づくりが可能となると主張してきたのである。 

このように具体的な案がこの当時に打ち上げられているのが凄い事であり、我々もこのように今後の未来を本気で見据えて明らかなビジョンを示して皆で共通の夢と希望をかなえられたら… と願うのは私だけでしょうか?

平成26年7月2日

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<院長の独り言 パート135>
『–妄想を考える-人間みな妄想に取りつかれるとしんどいよ』

さて前回は『–人が育つこと- その意味を考えてみる 嬉しいことがあった』についてお届けし、お送りしました。
今回は『–妄想を考える-人間みな妄想に取りつかれるとしんどいよ』 についてお話したいと思っています。

数か月前に、私はある本に出逢いました。その本の名前は「心配事の9割は起こらない」という曹洞宗の住職 桝野さんの書いた本でした。大変シンプルな題材ですが、的をえた衝撃的なタイトルの本です。その基本的な考えの中心は(1)減らす(2)手放す③(3)忘れる事こそが「禅」の教えとされています。

もっと詳しく言うと
余計な不安や悩みを抱えないように… 他人の価値観に振り回されないように無駄をそぎ落として、限りなくシンプルに生きるということです。

(1)妄想は心を縛るもので、物事を対立的にとらえる生き方である。
比較するから人間は苦しくなるのだ… 「あの人はいいなあ。車も家も買えて…」などなど他人と比較する(対立的にみる)から苦しくなる…
「生」に対して「死」を考え両者を比較して「生」は尊くて、「死」は儚いもの…などいわゆる対立するものを並べるから⇒比較する⇒勝手な妄想をして苦しくなる
この流れであります。
これすなわち「妄想」なのです。したがって禅の世界ではどんな人も他とは比べようのない絶対の存在であるといっており「妄想することなかれ=莫妄想」とい のであります。

(2)引きずらず、抱え込まずに…..今に集中する。
引きずらないために心を整える場所=より所を持って生きることの大切さ(仏壇など)を説き我々は今に生きるしかない、過去にこだわって生きても何も変わらないし不安、悩みしか生まれない。そして「一息に生きる」=「一呼吸する瞬間に丁寧に生きよ」という意味です。

(3)「喜捨」=惜しみなく喜んで捨てる禅の教えで、一つ捨てるのは執着から一つ離れることである。
持ち物を減らす=心も身体も軽くなるのです。
さあ、さいきじんクリニック. を好きな皆様ならもうお気づきの事でしょう。

当院の理念
★人を創る。身体をつくる。環境を重視する
★感謝、反省、奉仕、夢を極める
★あせらず、とまらず、そして諦めず

今年の年頭所感。仕事は整理整頓に始まり、やり遂げるまで続けよ。
つまり、さいきじんクリニック は実は禅の教えに近いのであります。
もしかしたらそれは私が道元上人開祖の曹洞宗派だからかもしれませんね。

まとめますが、
比較するから苦しくなる⇒比較をしない考え方が重要
物事を比較しないために⇒どんな人も他とは比べようのない絶対の存在であるとしる
「妄想することなかれ=莫妄想」であります
そして、対立的にみないことも大事です。

皆様が今苦しむことがあるようでしたら、必ず何かにとらわれていると思います。そんな時に一度その捕われているものを捨ててみるのも一つの方法かもしれませんね。参考になればうれしいと思っています。

平成26年6月2日

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<院長の独り言 パート134>
『–人が育つこと。その意味を考えてみる。嬉しいことがあった』

さて前回は『4月 新年度はじまるね。〜本を読むことの利点、効能〜について』についてお届けし、お送りしました。
今回は『–人が育つこと。その意味を考えてみる。嬉しいことがあった』についてお話したいと思っています。

1か月前に、私はある職員(S.Fさん)から報告を受けました。「先生、ご迷惑をおかけいたしましたが、ようやく正看護師になれました」 実はその彼女は実力的には遅すぎるくらいの子でした。本当に嬉しかったのですが、あまり表現がうまくないので若干顔が引きつっていたかもです。

しかし実力があれども試験が苦手な人もこの世にいるもんです。本当にこの報告はここ数年来で最もうれしい報告でした。さてそこで 我々の使命は何か? 頭を素にして考えてみました。人として、男として、医師として、上司として何ができるのか?仕事は何だろう???
そしてこう思うのです。
次世代の人に何をつなぐのか? どうバトンを渡すのか?ではないかと…..
またそのためには「人を創る」のがとても大切なのだと…
元来、「人を創る」。 その心構えには 「感謝、反省、奉仕、謙虚」などが必要かつ重要で特にその思いは管理職者に強くあることがより望ましいのだと私は思っています。
そしてまた「諦めない心 =続ける心」も大切なのです。
100人で10人が行動する。そして1人がやり続ける。
つまり行動するのが10%、続けられるのが1%であり、 やり続けることの難しさがここにあります。ここで見直すのですが、「わがクリニックの理念は実によくできているなあ」と思っています。
私は幾人かの医師育成もやってまいりました。しかし大変難しい…
諦めているわけではありませんが、医師は一般に地位や財力を持つために何でも(ex 車や家)手に入れやすいわけです。

しかしよくよく考えると何でも手に入るということは「足りないものが少ない」=「貪欲さを失い、目標を見失いやすい」ということにもなります。
実は、ここが大切で足りないからこそ頑張るんです。皆さんはないからこそ物を求めませんか? 言い換えますと、足りないものが少ない=不幸であるということであります。
そこで人は目標を常に持つことが需要になってまいります。
私は、いつも必要以上に手元にお金を置かない主義であります。そのために使う天才になりたい…と常に願っています。 だからいつもお金が充分という気になっていないです。

さて皆様もよくご存じの、可愛がって頂きました歴代のうちの職員たちは
川崎医大の当時からさいきクリニック~さいきじんクリニック.に至るまで実に多くの職員宮田君、浜岡さん、藤井皆子部長をはじめ多くの方々と一緒に教育、成長をして参りました。またそれに携わらせて頂きました。もちろん彼らの努力や素質なしでは成長はなかったと思っておりますが、きっと患者さんや業者さんたちに育てて頂き、また私も教わってきたんだな…. という風に思っております。そして 今回S.Fさんが 見事正看護師になられました。彼女の目標はもう次に向かっているようですが、長い苦難の末に見事目標達成されたことを喜ばずにはいられませんでした。
私はまた皆さんや私の祖母や父母、先祖の方にご報告できる自慢が増えたと喜んでいます。

 「人を創る」このたった六文字に大きな夢と思いを乗せてこれからもさいきじんクリニック.は皆様とともに成長して行けたなら大変うれしく思っております。

どうぞ今後もよろしくお願い申し上げます。

平成26年5月2日

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<院長の独り言 パート133>
『4月 新年度はじまるね。〜本を読むことの利点、効能〜について』

さて皆さんは本を読まれますでしょうか? 私は実は大嫌いで小中高校生まで(いや医師になるまで意識はしてない?)読んでませんでした。なじみもなく、なんでそんなことに時間を費やすの?くらいの感じです。そんな方もいるかもしれません。しかしふと思い出してみてください。
(1)両親から「本を読みなさい」と言われたことはないですか? 
(2)よく観察していたら本を読んでいる人は上司に多い、成功者に多いと感じたことはありませんか?
何となく感じておられたらそれは幸いなことです。私も乱読ですが、できる限り少しでも役に立つことを貪欲に本から感じようとしています。

あくまでも私の私見でありますが、本を読むことは「感性を高めたり、鍛える場である」と思っています。
これは私見ですので、私の最近読んだ資料2つから…今回は本を読む利点などをお話しをしたいと思います。

資料1)「男の極意」という本から 
男には 「学ぶ」 ということが必要不可欠である。
「学ぶ」ためには(1)本を読むこと(2)街に出て経験を積むこと(3)実績のある男や実力のある男を認めること(男としてあなたが一番したくないことかもしれないが) と言ってます。

人生はいつになっても「学ぶこと」がほとんどで、私はこの姿勢さえなくしている人がかなりいると思っています。
あわよくばこの姿勢を持っていても、それを持続できる人も少ないのです。そういう人こそがほんの一握りですが幸せを手に入れるのです(→これが成功者です)。

またこの本では学ばないで非成功者になった人の特徴をこのように記しています。
非成功者ほど異常にプライドが高い。人間は成功すればするほど謙虚になっていく…成功者は皆のおかげと思う。
非成功者に限って皆のおかげと感じずに、上から目線になり気づけば孤独になるものであると…..私もそう思います。

資料2)インターネットから 
この作者も今では年間100~200冊読んでるようですが、実は読書を大学4年生までほとんどした事がなかったようです。別に数が多いことが良いことだとか凄い事だとは思いませんようですが、たくさん読む事で身に付いたことがいくつかあるようです。あるとき自分の無知さ加減、無能さを知りそのとっかかりとして本を読むようになり、最初は薄いビジネス書、自己啓発書から始まったようです。私、斎木もそれで始まりましたし、それでいいのだと思っています。しかし、この読書こそが確実にその時から「人生を良い意味で加速させた」と感じたようです。

以下の5つがその理由でもあります。

1.勉強の仕方がわかる

学校を卒業すれば教えてくれる人なんていません。そんなときに良い先生になってくれるのが、本です。
社会に出れば自分で必要な情報を取り、処理し、仕事や人生に生かすことが必要になります。本たくさん読めば情報をどうやって読んでどうやって理解するのかを学べます。詳細は以下の本を読んでいただきたい。
本書を読めば本の読み方がわかります。古めの本ですが内容は色あせない名著です。これを読んで繰り返し実践しましょう。
『本を読む本 (講談社学術文庫) J・モーティマー・アドラー,V・チャールズ・ドーレン 講談社 1997-10-09』

2.自分の興味分野がわかる

本棚はその人を表す、といいます。それはその人が興味もって読んだ本がそこに並んでいるからです。たくさん本を読んでると段々自分が何をおもしろいと思うのか、何に問題意識を持つのかがわかってきます。
それがわかれば人生が豊かになるとまでは言いませんが、きっとどんどん自分の世界が拡がると思います。

3.自信がつく

あと、たくさん本読んでるとなんとなく自信がついてきます。なんでもそうですが分量こなすことだけで、こんだけやったんだからこれからもやれるだろ!という自信が湧きます。何かチャレンジするとき根拠の無い自信があることは意外と大事だったりします。なぜなら、自分が少しでも成功すると思えなければチャレンジなんてできないからです。
成功する人って常に自分の成功イメージを高く持っている人です。そういう人は理想と現実のギャップにいつも直面します。それを埋めるべく努力します。だからまず成功イメージを持つためにある程度自信を持つ事は大事なのです。

4.考える力がつく

ここでの考える力とは、疑って確かめる力です。情報を受けて、それほんまかい!?と疑うことです。でもこれはただ漫然と読んでるだけでは身に付きません。
これを身につけるためには、本も読むときにこれホンマか?と疑いながら読む事が肝要です。その方法は上記の「本を読む本」も良いですが、以下の本もいいかも。これの主題は知的複眼思考法を学ぶ事、つまり常識を疑う方法を学ぶ事です。
『知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ (講談社プラスアルファ文庫) 苅谷 剛彦 講談社 2002-05-20』

この不確実性に満ちた世の中では新聞に書いてある事ですら信用ならないことがあります。信じられる最大のメディアはもうありません。そんなときにニュースや情報を取って、どのように咀嚼するかが鍵になってきます。疑う力はそのときに必要になってくるのです。

5.「人生の師」が見つかる

最後に付け加えたように書きます。
たくさん読んでるとあなたの「人生の師」となる本に出会うはずです。その本はきっとあなたをずっと支え続け、たるんでる時に叱ってくれます。落ち込んでるときには励ましてくれ、迷ってるときにはヒントをくれます。
例えば僕の人生の師になっている本はこれです。
『20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義 ティナ・シーリグ 阪急コミュニケーションズ 2010-03-10』

最後に

迷ったときや岐路に立った時、不思議と必ず読みたくなります。その度に毎回違う読み方をしている気がします。そしてその都度大事なことに気付かされます。「人生の師」となる本と出会えるかどうかは、あなたの人生を左右します。
ぜひ皆さんにも見つけてもらいたいです。

平成26年4月2日

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<院長の独り言 パート132>
『沖縄メルヘン 〜ニライカナイ について〜』

さて前回は『人と向き合う難しさ 尊重と尊敬の違い <医療、介護編> ~毎年バレンタインの話だから変えてみた~』についてお送りしました。

今回は『沖縄メルヘン  〜ニライカナイ について〜』 についてお話したいと思っています。

さて「ニライカナイ」 という言葉について、皆さんは耳にされたことはありますでしょうか?

沖縄に行けばよく耳にするこの「ニライカナイ」について今回はお話しをしたいと思います。なぜ今回この話にしてかというと、まず

(1)我々内地(沖縄の方々らいうと本州の事)の人間には「ニラカナイ」という言葉はあまりなじみがない事。
(2)先日、ニライカナイの手紙という映画を見たことに始まります。

この映画は私も行ったことのある「竹富島」という石垣島からの離島の話し。一人の娘(風希)と母の物語。この娘の父親は早くに亡くなり、竹富郵便局長のオジイと母が幼い女の子(風希)を残して東京へ働きに出る。すぐに母が戻ると思っていた(風希)はオジイだけが戻ってきたことを不思議に感じていた。母に反発したり、しかし毎年定期的に届く手紙は彼女を励ましたりしていた。やがて娘は成長し、オジイの制止も振り切り東京へ出ていく。しかし母は病気で実は亡くなってたという (手紙はオジイが代わりに送ってました ) 悲しき家族の純粋な愛を描いた作品です。機会があればぜひご覧ください。

さてこの「ニライカナイ」の語源です。
ニライカナイは「ニライ」「カナイ」の二文節にわけられ、「ニライ」は「根の方」という意味が有力で、「カナイ」の解釈は、琉球語に多い韻をとるための無意味な言葉とする説や「彼方」を意味するとする説など諸説があります。
 つまり {根の方に位置する彼方}とでも訳すのだろうか?
簡単な解釈としてはいわゆる「竜宮城」のような海のかなたにあるユートピアと考えて頂けたらいいようです。
ニライカナイは、沖縄県や鹿児島県奄美群島の各地に伝わる他界概念のひとつ。理想郷の伝承のようです。
周囲を海で囲まれた沖縄は、海から様々な恩恵を授かってきており、浜には、数々の美しい貝や魚たち、時には木の実、異国の生活道具なども打ち寄せられます。
それら海からの授かりものは異郷からくる「寄りもの」と考え、沖縄の人々は海のかなたに神々の住む島があると考えた。
その楽土を「ニライカナイ」と呼ばれたようです。

この映画では 竹富島 という離島に毎年届く母の手紙がニライカナイというユートピア(他界)から届くものとして描写されているのでしょう。現在でも夏、旧暦六月に入ると沖縄の村々では、ニライカナイより神を招き寄せる祭りが数多く行われているようです。

しかし、一方ニライカナイからは穀物を襲う虫など疫虫もやってくることから、必ずしも楽土ではないという説もあり、『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社/1983年)によると、 ニライ・カナイに対する人々のイメージは、必ずしも理想郷や幸福の根源としてのみ捉えているわけではなく、ときには悪しきもの、災いなどをもたらすものの住む世界という意味もあったようです。

しかし、やはり人は心にユートピア=ニライカナイを抱きつつ生きていくときっと幸せになれるのではないか? という思いが大変強く思うし私は願っています。 皆様にもオリジナルのニライカナイがありますように…
そしてさいきじんクリニック.もそうでありたいと願っています。

平成26年3月2日

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<院長の独り言 パート131>
『人と向き合う難しさ 尊重と尊敬の違い <医療、介護編>  ~毎年バレンタインの話だから変えてみた~』

さて前回は『A HAPPY NEW YEAR  今年の覚悟を示します』
についてお送りしました。数年間にわたってお送りした企画です。

今回は『人と向き合う難しさ 尊重と尊敬の違い<医療、介護編> ~毎年バレンタインの話だから変えてみた~』についてお話したいと思っています.

さて前回は今年のさいきじんクリニック.の覚悟=今後の行動指針をお話ししました。
今日は ~人と向き合う難しさについて~ お話したいと思います。

人に向き合うことは相手を尊重することであります。相手を立てて相手と話し合い理解しあうことです。
相手を尊重することはとても大事なのですが、もし相手が認知症などあった場合相手を尊重することが
本当にできるのでしょうか?

これは大変難しい問題です。まず相手は話し合いや理解をする  ということができません。つまり一方向の関係(向こうの思うとおりか?こちらの思うとおりか?)になるのであります。

少し話は変わりますが、医療者と患者さんの関係はどんな関係がいいのでしょう??? 相手を尊重するために相手の思い通りにする…  これも間違いであります。本来の尊重はどういう意味でしょうか?

尊重とは「相手のことを大事に扱うつもりで、自制な態度で臨むこと」であります。
自発的な感情以外、社会のモラルや通念、常識にも押し付けられた態度であり、相手のことを自分と同等レベル
に扱うことでもあります。自分より下、あるいは上の地位にある人に対しては、尊重にはなりません。
私はこの形が医療者と患者、介護者の関係であると思っています。 お互いが同等でなければなりません。
一方、尊敬とは「相手のことを自分より優勢であることを認め、相手のことを仰く気持ち」 これが尊敬です。
必ずしも、相手のために自制することはない態度であります。時には”敬仰”とも言います。つまり、尊敬は相手が自分より上優勢である、しかし尊重は対等であります。しかしながら、認知症の方には正常な判断ができません。しかし同等レベルであろうとすることはできるはずなのです。決定はできなくても、いざなうことはできると思うのです。

人は介護者の方をみても多いのですが、この違いをはっきりわかっておられないことが多いのです。医療者にも介護者の方にも上に立つ方がおられます。それは尊大(強く見栄を張る状況)といいます。

偉そうなことを言いましたが、結局尊重して付き合うことが大切と私は思っております。意思決定ができない患者さんであってもこのように尊重する気持ちで付き合えば円満な形の医療介護が行えると
強く思うのです。

皆さんはどうお考えでしょうか? 医療や介護を行った経験のある方、是非一度振り返ってみて頂けたら幸いです。

平成26年2月2日

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<院長の独り言 パート130>
『A HAPPY NEW YEAR  今年の覚悟を示します』

さて前回は『13回目のクリスマス  見事なまでに メリークリスマス 』
についてお送りしました.数回にわたってお送りした企画です。
今回は『A HAPPY NEW YEAR  今年の覚悟を示します』についてお話したいと思っています。

さて前回はクリスマスの時期ですのでそのお話しをしました…年が新たになればやはり一年の反省をしなくてはなりません。最初に私の今年の目標はどうだったか? 痩せることを10kg痩せることを目標にしてクリアしました。
少し英語を勉強しましたが、これはまだまだ…運動も意識はできましたがまだまだ…また論文は提出できました。

ではさいきじんクリニック.としてはどうだったでしょう?????

さいきじんクリニック.の理念に 筆頭に 「人を創る、体をつくる、環境を重視する」があります。
そして去年一番目に「人づくり、会社づくり」「教育革命、公育私捨」とあります。とくに理念から続くこの
行動目標となりうる 「人づくり、会社づくり」 できたでしょうか?

私の見る限り、これは全然まだまだです。その中の大きな問題点はとある部署で話をしているときに
このことが露見しクローズアップされました。とてもショックでした。
自分たちが考えることなく、「じゃあ、どうしたらいいんですか?」と逆に食って掛かる…
そんな場面をみてしまいました。私は自分が解らないことはまず勉強し調べて、考えてなおもうひと踏ん張りしてわからない時に人に聞くもんだと思ってました。それが常識的だし、自分が努力をせずに「じゃあ、どうすればいい?」なんて詰め寄るのは明らかにおかしいと思うのです。 それがさいきじんクリニック.の中で普通にあった事がびっくりでした。

言った本人ももちろんおかしいですが、それよりも言わせている風土や環境がもっとおかしいと思いました。
私ども上司も大いに反省し、この課題に年末取り組んだことでやや7-8割は改善できたように思います。
今年は徹底的にやります。賞罰も厳し、(本来はしたくないところですが)目的意識をはっきり持ちやらねば何も変わらないでしょう。そして人づくりを行っていくのです。

その上で 今年は 「諦めずに自立を突き詰める。まずは整理整頓。 仕事はこなす⇒やり遂げる へ…」 を特にあげたいと思います。この目標は私達スタッフもそうですが、実は患者さんも共通です…
次の2月に尊敬と尊重の違いを述べる予定ですが、我々は患者さんを尊敬ではなく尊重しています。もちろんスタッフに対してもそのつもりで…
しかし患者さんの中には「生活の質:QOL」を保つために難しい人もいるでしょう。それでもあくまでも前向きに考えていきたいものなのです。

平成26年1月2日

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