院長の独り言【2004年 平成16年】

<院長の独り言 パート22> 
『クリスマスのトリビア やっぱりわくわくするね...』

今回のテーマは「クリスマスのトリビア」です。この題材にしたのは、我々毎年院内研究会というのをしているのですがこれは全ての皆さんの日頃の疑問やクリニックに対して思うところを自由課題で発表する形式です。教育の一貫でもあるのですが,私事で申し訳ないのですが忙しい最中に本当にうちの職員には頭が下がるおもいです.今のうちのクリニックの存続はスタッフによるものとなおさらながらに誇りに思います。

先日12/19、当クリニック最大のイベント『楽しくさせます、させられます』クリスマス会が400名の参加を頂き大盛況に終わりました。その前に私の院内研究のテーマであったクリスマスのトリビアをちょっと公開します。

(1)サンタ由来は?
(2)なぜクリスマスカラーは赤と緑か?

サンタクロース。それはわくわくの世界。当クリニックの合い言葉『エブリディ・サンタクロース』にもでてきます。サンタクロースは聖ニコラウス司教という方が、貧しい人達に贈り物を届けた事に始まっています。サンタはセイント(聖なるの聖)がギリシア語から変身しています。この時期にニコラウス司教はまさか数百年後にサンタとして自分が取り上げられるなど思っても見なかったでしょう。時代はかなり変わりましたが,他に施しをするという行為は必ずその人に大きな幸せを運んでくるのです。

クリスマスカラーは赤は、キリスト教のイエス・キリストが十字架にかけられた血を表しています。また赤は原色で、子供はこういった色が生まれてからすぐに好きです。大人になってもその考えは潜在的に残っています。しかし一色では飽きが来ます。そこで緑というわけです。これまた子供の好きな色に緑や,黄色,青などはでな原色がありますが...緑は癒しの色.癒し効果抜群です。つまり、クリスマスは癒しと潜在的な心の好きを引き出しているものです。そして光はさらにそういった心の安堵感を際立たせる効果が抜群なのです。                   

Holly Night . もう少しでお正月も来ますね...

平成16年12月24日

▲ページTOP 

<院長の独り言 パート21>
『わがまま、それを理解すること/されること』

今回のテーマは「わがまま」です。

わがままにも色んな種類、シュチュエーションがあるのですが、すべては自分本意の願望に始まります。いいわがまま、いけないわがままがあると思います。またわがままには理解を示さねばいけません。わがままを言いたい気持ちを理解する事です。
ではどんなわがままがあるのでしょう。
絶対にしてはいけない「わがまま」について述べましょう。

(1)相手の意志を尊重しないわがまま
(2)相手を理解せずに行うわがまま

これらの「わがまま」の共通点はまるっきり自分本意であると言う事になります。このわがままはまるで社会の常識を無視したやり方になります。この「わがまま」は必ず聞き入れてもらえる事はありません。つまりわがままが願望の現れとするならば願望は実現しないのです。

上手なわがまま言いましょう。そうすればあなたの願いは聞き入れられるはずです。ここに例をあげましょう。ある恋人がいます。性が男性に会いたがっています。でも彼は仕事で忙しい。しい 女性Aは
「いつも、いつも仕事仕事って私と会う気がないんじゃない。本当に好きなら会いたいと思うはず...」と言いました。
男性はどう考えるかお教えしましょう。
本当に会いたいのに会えない。いつも悪いと思っている。にも関わらず一番の理解者であろうはずの彼女に責め立てられて苦しみます。その上自分を理解してくれないのなら...別れを考えるでしょう。
同じ事を言うのにも女性Bの発言を聞いてみましょう。
女性Bは
「お仕事大変そうね。本当は今日会いたいけれど、お仕事してるあなたも好きだから... 我慢するわ。また連絡頂戴ね」

こんなふうに言われると男は自分を理解してくれていると感じます。そしてどんなに忙しくても数分間でも顔を見せようとあらゆる努力をするでしょう。そうしたらあえないと思っていたのに会えたなんてドラマのような世界も経験できます。皆さん円滑な関係を保つにはまず相手を理解し、多くを求めずに行動しましょう。『わがまま 理解する時/される時』は、どんなわがままでも相手を理解し、相手に余裕を与える事がいい結果を招く事をいいたいのです。

あなたもいいわがままが言えるといいですね.クリスマスがどんどん近付いてきています。Holly Night .

平成16年11月20日

▲ページTOP 

<院長の独り言 パート20> 
『心が折れる時 わたしは、そしてあなたは』

「今はもう秋。誰もいない海。らぬ顔して。人は行き過ぎても...私は忘れない。
海に約束したから...辛くても、辛くても死にはしないと

なんと年代まるばれ...のトワエモアという2人組の曲で今日はスタートです。台風が消え、また新しく現れての連続で繰り返され、何となく秋の気配がしてきました。秋は何となく好きな季節です。最も好きなのは、あの秋晴の空をみると思います。そして秋は少し淋しくて、少しすがすがしくて、その上冬の訪れを現わしているのが秋です。

さて、今日の題材『心が折れる時... わたしは、そしてあなたは』はセンチメンタルな気分の秋にぴったりです。早くも開業して3年。移転して1年足らずの時間が過ぎました。私はここで何をしてきたのだろう...多くの事をしたはずなのにあっという間の出来事のような気がしています。

今、このクリニックは成長期にあります。目まぐるしい変化と人の流れ...必死でこの激流に身を投げているのですが...ついていけそうにありません。ピンチの連続状況です。私はもともといらちな性格で、そういった意味では経営者にむいていないかも知れません。経営者はまずは冷静かつ適確な判断を迅速にこなさねばなりません。そんな私なのですが、現在経営者なのでできる限り雰囲気を慌ただしくしないように努力して参りました。しかし長年連れそってきたスタッフにはすぐに『先生いらついとるで〜』って ばれているようです。『うー やばい』あまりわかられるのは好きではありませんし、何よりその雰囲気がスタッフみんなに伝染していくのがクリニックにとっても患者様にとってもあまりよろしくありません。『またあせってしまうぜ』と心の中で呟いてしまうのです。

これと関連して最近スタッフを見ていて思う事があります。随分成長をした..と感じられるスタッフ達ではありますが、時にピンチを迎えるとめちゃくちゃあせります。そしてリズムを崩しています。私も今は昼めしを食べてない事を忘れるくらいの状況になってきています。別に患者さんの数が激増したわけではありません。なのに、濃厚なイメージがクリニックの中を歩き回っています。そんな時あるスタッフが『私にしっかりして下さいよ』とはっきりと言いました。一般的に見れば根性2重丸の人ですよね。これは対した刺激になりました。それと、救世主が現れました。かわり映えのしない毎日に、当院のイラストレーターの一方の千秋育子さんが、追加でイラストを書きに来て下さいました。この方は極めてオッさん風の感じもある不思議な感じの女性ですが、ちゃきちゃきでいて、妙な魅力を持っています。人の瞳にヒルのように吸い付くのでは...と思わせるように眼を見て話をされます。(本人いわく くよくよ の一面もあると言ってたけど正直ワカランなー)

まあ、いずれにせよ、当院の男子諸君や薬屋さん達を虜にするこの小悪魔さんの出現は助かりました。(ある薬屋さんは私のところには顔も出さないのに連日千秋さんのところに顔を出していたらしい。しかも休みの日までも...)いずれにしても彼女が現れた事で、クリニックが活気づいたのは事実でしょう。

『心が折れる時... わたしは、そしてあなたは』 そんな時は環境をかえるか? 
強い刺激を受けるか? がどうもいいような気がしてなりません。あなたはもっといい解決法知っていますか? もしご存じでしたらそっとお教え下さいな。

平成16年9月15日

▲ページTOP 

<院長の独り言 パート19> 
『恋愛 ...これすなわち医療の原点なり...』

さて、今日は恋愛についてです。医療の原点はどこにあるかと考えてみると何となく共通点が見える気がするのでこの度はこの題材を選んでみました。

先日こんな話を女性スタッフ達がしていました。『恋と愛の違いってなあに?』最初聞いた時に一瞬ひるみました。ですが、すかさず答えたのは、愛とはどのような対象にもおく事ができるもの。たいして恋はある一定の物や人に対して持つ感情。『愛 ⊃(含む) 恋』の関係であるといいました。これが正しいかどうかは別として、はてな? 愛と恋はどういうものでしょうか?

漠然とした感覚の中で感じる愛とは、対象が人であっても様々です。(恋人、伴侶、子供、老人、上司、部下、男、女など)また次に物や動物にも与えられるもので、直感的感覚が大切な気がします。一方、恋は対象がはっきりしているものでしょう。ここに恋人(こいびと)という言葉があります。なぜ愛人(あいじん)と言わないのでしょうか? 恋人は特別な存在です。愛人は恋人がいても持つ事ができますが、恋人は一人なのです。

究極に言えば『愛(あい)』とは

(1)対象的(誰に対してもおこりうる)、時間的(終わりがないなど)なものの見方は一切ないもの
(2)相手に求めないものである事(つまりもとめた時点で恋になる可能性は大です)
(3)右脳的で直感的な要因が大きい

対して『恋(こい)』には終わりがあります。対象もはっきりしています。時には相手に求めたりして苦しみます。左脳をつかって、始まりはこの人とどうなりたい などを考えます。始まりは理論的な部分があります。つまり恋は終わりがあるもので、愛は終わりなどないものなのだと思うのです。別れた相手に対してさえ、恋心はなくなったとしても愛は保つ事はできます。ここに私の大好きなチューリップの財津一夫の名曲【青春の影】という一部の下りをお示しします。

2番の初めに次の言葉があります。

愛を知ったために涙が運ばれて君の瞳をこぼれた時 恋の喜びは愛の厳しさへのかけ橋に過ぎないと...

つまり愛から始まった心の動き、それが恋へと変貌したけれどその恋は愛という大きな集団の中の一部の厳しさの一つに過ぎないと.... 歌っています。

恋と愛を取り違えると勘違いが起こりうるのもまた事実であります。人間はこの過ちをよくおこすものです。そのために多くの苦しみを背負って生きていくのでしょう。だから人間は面白い...実に嬉しくもはかないものなのです。

あなたは愛ではありませんか? 恋はいくつもの制約を受けるのです。だからこそ男は女性を、女は男性を求めています。その恋の制約はより心地よい時もあれば、心苦しい時もあって..だからこそ恋は切ないのです。恋を忘れそうになった時あなたは愛を振り返ってみるのも一つの方法だと思うのです。

さあ、我々医療従事者は患者さんに何をすればいいのか? つまりは大きな愛を降り注げばいいわけです。これは相手に求めるもののなく、こうあって欲しいと願うのはいいですが、求めて過ぎてはいけません。恋になってしまった場合はちゃんと患者さんを見る事はできないでしょう。医療すなわちそれは『愛』を求める姿があるのだと思いませんか???

平成16年7月5日

▲ページTOP 

<院長の独り言 パート18>
『歩むといふ事...人の一生は座って半畳寝て1畳...』

さて、今日のお話は何にしようか?? 白い巨塔が終わりました。その影響だと思うのですが...歩みと生きるといふ事に焦点を絞ってみます。

先日まで学会に出かけていました。何と栃木の宇都宮というところに出かけたのですが、初めてのところでした。私は普段このクリニックに缶詰めに近い状態です。拘束の長い生活に慣れていると、大変外の世界に興味津々なのです。したがって街を見て歩く事はとても自然に行います。近くに川越という場所があり、そこは小江戸といわれるところでいわゆる日本の昔ながらのいい伝統をしっかり残している街。祭りのルートや蔵はどんなものか?短時間ですが見て参りました。

とにかく歩き回りました。タクシーにのれば必ず街について訪ねる事にしています。歩いたらわからない事は尋ねるようにしています。日本を感じたいからなのです。その街の独特を感じたい。オンリーワンは何か? そしてそこに何があるのか???知りたい欲の塊に変身しています。大宮への電車の中で気分不快な事がおこりました。小さな女の子が外の景色をみるために裏返って外を見ようとするとその靴がとなりの50代後半くらいの方でしょうか? その人の足にあたりました。するとその中年男性はこれ見よがしに靴のあたった場所を手で払いました。実に大人気ない...子供は善悪がわからないものです。だから何をしてもいい..という事にはなりません。しかし、その背広の一部分がよごれたくらいで何でむきになるのか???理解できませんでした。女の子のお婆さんは大変申し訳なさそうにその男性にずーと気を使っていました。一番の救いは女の子がその険悪な雰囲気を察知できなかった事です。これからの将来に期待しながら微笑ましくその女の子を見ていました。

話は変わって、本日の本題に入ります(どうも前置きが長くて申し訳ございません)。歩みから連想するのは死を前にした患者さんのある人生です。それは医師になって2年目のまだ若い頃(1990年頃)呼吸器内科研修中の私でした。物理学の教授のおじさまの主治医になりました。肺がんで余命は幾ばくもない患者さまです。いつも奥様も付き添っておられました。この当時は全く今の医療よりももっと閉鎖的で「癌の告知」など御法度の時代でした。ある日の事です。毎日のように回診に行くと奥様と御主人が待ち構えたように私に病状について質問されました。『主人は癌じゃないんでしょうか? 症状はあまりないけれど、なかなか帰してもらえずに点滴の毎日なんです。先生、本当の事をおっしゃってください。覚悟はできているんです』 心の準備のない時間と、覚悟の上での時間の重みが天秤にかけられました。突然に私の頭は回転しはじめました。

癌の告知は御法度であると教育された私。呼吸器内科の教授は厳しい人でこのようなことがばれたら私はどうなるんだろう??? ましてや物理学の教授の叔父様というVIP 待遇の人だぞ...

色んな思いが頭を駆け巡りました。さらに 『 私達は癌なら癌でいいのです。私達は誰にも何も教えてもらえない...でも知りたいのです。残りの人生を楽しみたい。有意義に人生を全うしたいのです...』

この言葉は極めて衝撃的でした.医師になって2年目.医学会の禁裏をやぶる時期がやってきたと感じました。私は出世を望んでいるわけでない。患者さまを救うために今ここに存在しているのだ。御本人と奥様に命そのものの魂をぶつけられて、拒む理由など何もない。「いいじゃないか。木豊徳よ。仮に大学での立場が悪くなったって、生きていけるじゃないか?必要としてくれる人は必ずいる。目の前の患者さんが私を選んで聞きにくいこんな事を相談してくれているんだぞ...」私の始めての告知はここで行いました。川崎医大16階VIP 特別室で小さな癌告知が始まりました。肺がんの進行状態である事,年単位の余命は望めない事平均6ヶ月くらいと思われる事...など。もちろんカルテには残していません。それは必要がなかったからです。今カルテにそのような事を残すとしたら、裁判など「言った、言ってない」などの実にくだらない論議を防ぐためでしょう。私のこの告知は患者の納得で行っています。また御法度の時代に告知を私がした事で次の主治医が混乱し、たひいては呼吸器内科、l-prop病院に波紋がおこる可能性...また告知を受けた患者さまにまで被害を及ぶ可能性を考慮したからです。お二人はその後点滴終了後退院されました。2度とここに戻ってこられないかもしれない。でも退院の時に呼吸器内科の研修を終えていた私のところまで起こし下さいまして、『先生、ありがとうございました。先生のあの話がなかったら、私達後悔していたと思います』そしてなんと、学生時代にお教えを乞っていた物理学教授までもが「齋木先生、ありがとうございます」と言って下さいました。私はこの瞬間に医師のはしくれに初めてなれた気がしていたものです。

そして数カ月後.....小さなはがきが参りました。そのはがきには『○○、他界いたしました。生前中は大変お世話になりました.』そして直筆で、齋木先生ありがとうございました。とありました。私は辛い思いを多く感じておられる患者さまから「ありがとう」の御褒美を頂いたのです。どんな状態でもこんな素敵な患者さまを遠ざけることなできようがありません。若き日の私にとって忘れられない大きな体験でした。その後の私はというと幸いな事に川崎医大で放射線科→腎臓内科と入局し多くの勉強をさせて頂きました。人の人生は座って半畳、寝て一畳。それだけでしか所詮ないのです。どんな権力もどんな富も所詮は命あってのもの...ですが多くの人はそれに気がつかず、過ごしています。我々医療従事者は何気ない患者さまの声から命のそして魂の力を感じなければなりません。

最後に今研修中の方、もし大学病院や大病院にいるのでしたら、このように辞める程の覚悟の修羅場を潜ってみて下さい。学問も大事ですが、魂を感じられます。将来の医師人生を豊かにするのであれば,辞めさせられてもいいと思う程の覚悟をして一生懸命に魂を震わせるのも研修の一つと思ってやまない私です...

平成16年6月2日

▲ページTOP 

<院長の独り言 パート17>
『多くの弟子達...優秀な部下を持つものの悩み...』

さて、連日暑くなって参りました。私は人よりすこし(??)分厚い衣をもう一つまと っているので更に暑い。休む時はふとんで「サッカー」しています。

今、国会議員の年金問題があって福田官房長官は辞任、民主党:管直人代表も辞めたく ないのに辞めないといけないような感じになっています。管さんには、少なからず同情する部分もありますが、あの方は潔癖を武器に人を責め過ぎました。その結果自身も完 全に潔癖でなければいけなかったのです。部下はそうでなければ言う事をきいてはくれないのです。したがって、当然の行為として辞任が浮かび上がるのです。(今日は少し 眠たいのです。実は昨日寝ておりません。暑さと興奮状態で眠れず、仕事をしていました。あー今になって眠気がやってきています。)

国会議員とは違うでしょうが、私も部下を何人も育ててきました。当初の育て方は典型 的縦社会(医療にまだ存在する???)的な何も知らない、実績のないものは口を挟むべきでない。のような感覚でした。(今も変わっていないと部下から声が聞こえそうで す)その中でついてきてくれた一人の弟子を今日は紹介します。 実は久しぶりに彼と数日前に4時間くらい話しました。実は彼はよくこのホームページを見ていてくれているそうです。そんな彼が一言言いました。「先生は京都の連れや大学の連れについては多くを語っているけれど、何で僕がでてこないのか?」そうです。今回は事もあろうか、弟子にせがまれて、またおどされて書いている悲しくも切ない上司の物語なのです。冗談はさておき、この発言には「しまった」と思いました。

「何で僕がでてこないのか?」

その疑問にはあんなに一緒に頑張ったじゃない。って思いと、二人の間の歴史の重さを軽んじたでしょ...っていう思いが聞こえてきました。いやー違うのさ。君とのことはまだ最近のことで、歴史と呼ぶには早すぎる事と、まだそんな過去を振り返る若さでないからあえてここに記さなかったのだ...と苦しい言い訳をしながら今せっせと書いております。彼は当初大学病院に入ってきた時、仕事が何たるかを理解していませんでした。そういう私も1年目の時に5万円弱のアパートに住み、お手当9万円で生活していました。当初先輩の先生に「9万円なんて生活できない」と愚痴った事があります。しかしその先生は「そうだね」なんて過保護な発言ではなく、また共感的でもない、「おまえが給料を貰っている事が、如何に不思議か? そう思う。学生の方が授業料を払っている分ましだ。」というスーパー攻撃的トリプルクロスカウンターをくらいました。正直この時はむかついた...でもそれが真実だとすぐに気づくのです。ヒポクラテスの誓いというのがあります。その文頭に(医業にたづさわることを許されたからには,全生涯を人道のために捧げる)という文節があります。

私達、医療者の最終目標は何でしょう??? それは自分が金銭で豊かになる事ではなく、ヒポクラテスの誓いにある全生涯を人道のために捧げる事が非常に大切なのです。つまりは最終目標は患者さんや家族そして社会への貢献で幸を運ぶことなのです。私の一番弟子とも言える彼は入社時にはおそらく反発心もあった事と察します。ですが今は人もうらやむくらいの出世をして私にとっては誇りで、全国的にも患者さんが救われる仕事をしています。何がその他の脱落した人達と違ったか?今さらながら考えさせられます。そうです。かれは屈辱さえもばねにし、決して諦めないしつこい男でした。色んな事にしつこいのです。それは彼の長所であり同時に短所にもなり得ます。その事を中心に4時間話しました。そうこうしているうちに彼の人間としての成長を見出せる事ができました。そんな時一人でほくそ笑んでしまうのです。「この誇れる優秀な部下は、私という肥やしを吸ってここまできたのだ」と...私はこんな実績もありますが、今さいきじんクリニック.でその他の部下を育てるのに苦労しています。ですがいづれも残って下さっている人現在約25名はきっと素敵な飛躍をするものと思ってやまない今日この頃です。今回は彼の脅しにのったのですが、お互いいい医療を提供するべく邁進できたら幸せです...

皆さんも一生の部下と上司に巡り会ってみて下さい。心をひらいて、上司部下に接している限りいい事づくめですよ。

平成16年5月10日

▲ページTOP 

<院長の独り言 パート16>
『本音とたてまえ 相互理解は程とおい?? だからこそ...』

この間まで、さくら満開でしたがもう散る季節になっています。早いもので開業して3回目の春がやってきました。

今イラクでは日本人人質問題が取りだたされ,ようやく人質解放されています.国家の考えは自衛隊撤退を求めるテロに対して屈しない姿勢です。この考えに賛否両論です。人間は統一した考えは持てるのでしょうか? 人はすべて自分が正しいと思っているところがあります。では考えの統一はできないという事になります。そうしたらどうすればいいのでしょうか? 話し合って、歩み寄ることが大切です。しかしそれでも解決をしない場合(今回のイラク問題もそうでした。話し合い以前に人質がとられ、国は全世界のテロを許さない方向を崩す事はありませんでした)は民主主義の姿勢に乗っ取って大多数の考えを受け入れざるをえません。

今回の国家の立場には大変同情しています。しかし一方家族の気持ちもわかります。自分の家族であっても私なら冷たいかもしれませんが、神様にお祈りし、無事である事を祈るくらいしかできません。これは実はたてまえなのです。本当は何もかもかなぐり捨ててかわれるものならかわりたい。助けたい...これが本音なのです。国という大きな人の組織の中で全員の考えをあわす事はほとんど難しいのです。ではどうすれば??? リーダーが理解を求めて引っ張るしかありません。その上でさらに理解を求めるしかありません。

では理解をしようとしなければ...組織をかえてしまうか? その個人が離れるかしかありません。組織になじめない人がいます。どういう人でしょうか? 残念ながらそれは頑固で批判的なものの考えを持ち、言い訳の多い人です。組織になじめない人は大抵話を切り出すと、攻められるのを恐れてか? 言い訳をします。気持ちよく『はい、わかりました』とは言ってはくれません。こういう人の特徴はえてして、自分に自信がもてない人である事が多いようです。

医療の世界も同様です。私も当クリニックのリーダーとしての資質を問われる立場にあります。したがって私個人の意見は許されない立場と思っています。昔、蜀の大軍師:諸葛亮孔明は全体の規律を守るために有能な前途ある青年武将:馬稷(ばしょく)を涙をもって斬りました。組織の団結には涙はつきものです。組織になじめず組織を自分の勝手な意図でかえようなどと思っている人は私が罰しなくとも組織から罰せられていきます。そして最後は孤独になっていく。私はそんな姿をいくつかみました。大変残念に思いますし、哀しい事なのです。個人の考えと組織の考えは必ず一致する事はありません。その簡単な方式がわからずに組織にいると窮屈です。本音とたてまえ、真面目な人は本音のみで勝負しようと思っています。

こんな生き方はスーパーマンでも難しいでしょう。残念ながら当クリニックでも自分の居場所を見つけられなかった人が発生しました。そして医療に対して「一番」とは思わないといいました。私はあえて否定しませんでした。ただ、自分の仕事に誇りをもてない。(No.1でなくとも特殊なオンリーワンと思えない事)は哀しい事だと考え、彼の夢を叶えるよう応援しようと考えるようになりました。私も色々考えさせられましたが、最終的な結論として彼が誇りに思える仕事に出くわせてくれればと思うのです。私も厳粛に受け止め、これからの育て方に疑問と追求であたりたいと思って、今必死に努力をしています。無理強いはせず相容れないケースを見守って参ります。お互いのためにもどんな生き方でも進まないでしがみつくよりは新しい世界の方がいい方向性を見出せる人が多いと信じているからなのです。だからこそ、目標設定をしっかり定め相手を理解しようと考えていきます。

皆さん私達を今後も応援して下さいね。

平成16年4月21日

▲ページTOP 

<院長の独り言 パート15>
『St.Valentines Day そして 私の考えるところ...』

今年も早いものでこの間まで、正月だった気分でしたが、もう2月中旬です。この時期は異様に嫌な感じがします。そうあのセントバレンタインデイが来るのです。

私はお世辞にもこのチョコとかいうもんをもらった事が青春時代になかった。この時期になると思い出されるのは、
1、高校時代に浮かれた後輩が彼女にもらうチョコを得意げになっている姿 
2、全く無縁の私と近所に住む小山忠司という連れが剣道の練習を終えて、サカエという商店で50円の不二屋『ハートチョコレート』を買っていた事 
3、そしてそのチョコはハート形をしていて、まん中から「ブツッ」と半分に割り半分ずつして仲良く食べた事...この物語は随分お寂しいものであると思いませんか?

1.まずもらえない二人
2.仕方ないので男なのに(バレンタインの売る対象は女なのです)買ってしまうこと
3.そしてそれは50円のチョコであること
4.それをまん中で割って、(恋愛崩しのおまじないです)まるでハートをやぶるいやらしい行為である事 
5.いつも寒い季節である事

でも今になって非常に懐かしい気がします。私はお世辞にももてるタイプではなく、もてない君でした。幾度かは告白されたのは記憶していますが、中学/高校と一度も彼女と呼べる人がいなくて、友達が校門で待っている彼女を見て『じゃーまた明日..』といって自転車を並べて帰っていく姿に憧れていたのです。数年前までは何と哀しいことか?って思っていましたが今、あの時の事を懐かしくも抱きしめたい季節に思えます。私にとってその時期がおつき合いができていようといまいと、素敵な時期だったのでしょうし満足いく人生だったのでしょう。ふと40歳超えてから、がどうなのか? と考えます。結果がどうであれ満足いく人生を送っていたあの若き日。当然学生ですしお金もなかった...今は自分で仕事もしています。仕事は満足ですが、色んなものを私だけでなくスタッフも我慢してくれていると思います。今の私は仕事人間のような気がしてなりません.『そういう時期なんだ』と言い聞かせてはいますが...

先日また『白い巨塔』現代版をみました。医師になって色んな事を勉強させられました。趣味も抑えて、今ある自分は本当にいきていると言えるのか? 人間としていきていく事がどれだけ重要か? を『白い巨塔』に重ねてみていました。内科の里美先生は医師である前に人間を貫こうとしておられます。一方財前教授は医療の標準的な汚い面もいい面もうまくこなす事に一生懸命です。どちらもわかる気がします。ですが私は前者を選択致しました。今できない事をこれからしていくために今後も努力します。私も医療スタッフもいい人生を送れるように...『白い巨塔』はそんな医師の2面性を性格に描いてくれています。医療に関係ない方には理解が苦しいかも知れませんが医療会における政治的重圧があるのもまた事実です。時代が変わっていく事を切に願って、また皆さんに幸がございますように..

セントバレンタインズ デイ!!!

平成16年2月10日

▲ページTOP 

<院長の独り言 パート14>
『クリスマスとコマーシャル...そして久しぶりの知り合いからの連絡』

あけましておめでとうございます。皆様にとって素敵な一年でありますように...もし私にユリ・ゲラーのように超能力があったならばいわゆる念力で皆様にパワーを送れるのに...

さて、「さいきじんクリニック.」は始めての正月を迎えました.みんないないので今日は淋しいクリニックなんですよ...私は今医局にて独り言を書いています。やることは実は山程、蓄積されてきていますが、なぜかこんなに『ほっと』した感じはこちらに来て初めてに近いくらい...そんな気持ちになったのは久しぶりなのです。

前置きはこれくらいにして。今回の独り言は...『クリスマスとコマーシャル。久しぶりの知人からの報告』についての話です。

さいきじんクリニック.は12月にかなりのライトアップを致しました。見ていただけたでしょうか? スタッフには先生は好きだから...とことあるごとに言われました。まあ、当たっていますけど。ですが、好きになる方法は2つあります。最初から好きである場合あるいは最初は好きでなくても何らかの目的でやっているうちに楽しんでするために好きになった場合。実はライトアップ、これは後者でした。好き好んで雪のふる日もくそ寒い中をライトアップしました。丁度一日東京へ行くことがあって朝一番に渋谷の東急ハンズへいってしこたま買い物をしました。後から好きになる場合は本当の好きになることが多いのです。

みなさんも最初は嫌と思っていて困難を乗り越えて好きになったものに美しさを感じることがあると思います。この12月はかなり多くのコマーシャルがクリスマスバージョンになっていました。最近は異常な程クリスマスバージョンが多い様です。ここ数年の傾向を見てみてもそうおもいます。今までも述べてきましたが、人は癒しを求めています。美しいライトアップは心が落ち着きます。我々は地域の人に還元するために我々患者さん,スタッフのために...またエブリデイーサンタクロースを実行するためにライトアップはできうる限りを実行すべきと思っていました。まだ見ておられない方は見てみて下さい。これからもサンタ人形は片付けましたが、ライトアップは年中致します。

さてコマーシャルの話です。ここ数年クリスマスの中ではauのバージョンが大変好きです。コミカルであってかつ美しいと思います。クリスマスのみでなく最近好きなコマーシャル それはアイフルです。かなり考えたストーリーであり、これに刺激された他の金融会社がアコムではさわやかな小野真弓を用いた笑顔一杯のコマーシャルにして..,プロミスは井上和香でやはりさわやか路線です。アイフルは何が凄いか? ストーリー性があって、コミカルだから群を抜いて素晴らしいできになっています。ご存じの方もおられると思いますが、アイフルのお父さんは『白い巨塔』昔版の第一外科助教授の清水章吾さんです。いい味をだされる俳優さんですよね。でももっと気になる癒しのコマーシャル。それは豊川悦司の車のコマーシャルでプリンセスプリンセスの『パパ』をバックにバレエの女の子がでてくるコマーシャル。大好きです。他にも好きなコマーシャルはありますが、今日はもう一つ話題がありますので...

今日元旦に久しぶりの友人からメールをいただきました。もう20年も前に倉敷に来てから先輩に飲みにつれていってもらったところのママさんをしていた人です。病院を何かで知られて連絡をくださいました。嬉しい思いです.たった一日ですが、学生時代に先輩と彼女と飲み明かしたことがありました。タイムカプセルを超えて医師でもなく、ふるさとの連れでもなくこちらで知り合った方との再開でした。また昔15年程前の川崎医大腎臓内科にいた時に主治医をしていた福山の患者さんからのメールも最近いただきました。さらに8年くらい前に業者さんと一緒に医局の連中といった東京で知り合った店のママからもホームページ見てメールを頂きました。良く覚えて下さっています。嬉しいことです。ちょっとしたおつき合いですが,そんな関係でも覚えて下さっていることが嬉しいですね。それも自分のジャンルでなくてね。今あうことはなかなかありませんけど、お会いできたらまたよろしくお願い致します。出会いはやっぱり素晴らしい。出会いが人を育てて、時間との微妙な調和の中で人を変えていく。私はそんな人生を楽しみたいと思っている41歳なのです。

平成16年1月1日

▲ページTOP 

院長の独り言
パート22
パート21
パート20
パート19
パート18
パート17
パート16
パート15
パート14

×このページを閉じる

©2013 Saiki kidny clinic Seto Fukuyama all rights reserved.