院長の独り言【2003年 平成15年】

<院長の独り言 パート13> 
『いやしと革命 ...』

先月はごめんなさい。さいきじんクリニック.の開幕に甘んじて独り言がなかったのです。別にねたがなくなったわけではありません。ただやる事が山ほどあってと..必死で言い訳..ダメですよね。

今回の独り言は...『いやし と 革命 』についての話です。いやしを英語でHealing、革命をRevolusionと言います。時代は『いやし』を求めています。なぜでしょうか? 道いく人びとの多忙を極める歩き方、職にありつけず悩みを抱え焦る人たち。何を焦っているのでしょうか? 時代が人に焦りをおこさせたり、心を蝕んでいるように思えます。私はやはり時間がない時には、ふと数分間の音楽鑑賞などで、違った世界へといざなわれていく自分を感じます。その時同じ場所にいるにも関わらず、まるで別世界に引き込まれる感覚になります。そして癒されていきます。

癒しとはつまりなんでしょうか? いわゆる今の世界からの現実逃避現象なのでしょうか? 私はこう考えます。本来あるべき人間の姿を感じる時に癒されるのではないかと...人間には調和が必要で『緊張』『緩和』がいい意味でバランスよく存在するのが必須です。今現代人は余裕が持てなくなっています。多忙を極め、時間との勝負...いつも何かに追い掛けられるようなそんな思いで現代人は生きています。そんな時代ではゆったりとした『緩和』の世界が求められます。イメージしにくいかも知れませんが、逆にものすごくのんびりした世界に生きていれば、逆に『緊張』を求める世界を癒しに求めるのでしょう。人間はないものねだりのわがままな動物です。つまり癒しとは今の自分にない部分を求める強い心のハートフルなのです。人間個人の水平線上に存在する対極のバランスを保つために必要なものとでもいうべきでしょう。

また、革命とはいかなるものでしょう? 一言でいえばこれは逸脱です。癒しが人間個人の水平線上に存在する対極のバランスを保つために必要なものとするならば、革命とはまさに人間個人の水平線上の動きではなく、水平線を離れていくことです。ありきたりの生活からはみ出てしまう。そのことが革命です。革命を起こすならば、必ずと言ってもいいほど強い信念と豊富な知識が必要です。なぜ革命を起こさねばいけないのか? それは今の状態では、いきづまってしまった場合がほとんどです。新しい感覚を時代が要求している、ニーズが大きい場合などがそれに該当します。癒しと革命、どちらも同じ位置にいることを好まない現象です。バランスをとってみて(いやし)だめなら逸脱する(革命)ことが人間の自然な成りゆきであり、このことがさらなる進歩を促すのです。当たり前のことですが、革命のような気持ちが持てなくなったその時に人間や組織は後退していきます。

あなたは今も革命を起こそうとしているか? 私と一緒に考えてみませんか?

平成15年12月12日

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<院長の独り言 パート12> 
素敵な『出会いと別れ...』     

今回の独り言は... 最近私の回りであった人生の『出会いと別れ』についての話です。別れはとても淋しいものです。私もスタッフも例外なくおこりました。人に必要とされることはとても幸福な事です。しかしながらその反面そういう人は、多くの皆さんにそう思われていますから淋しさという感情も多くばらまいてしまうのです。人に必要とされることは、その人の生きるエネルギーになります。またその人が去る時にいただける淋しさの感情もまた、その人の意思を継いでいくためのエネルギーに変わります。悲しい事が、別れがたて続いて9/18私の人生の恩師、大澤源吾先生が故郷、新潟へ帰られました。10/3今日は、我がクリニックの姫がさります。恩師や彼女が残してくれたものを大切にしまって、磨いて、育んでいかねばなりません。

一方、新しい顔がクリニックに出現しました。夢と抱負を胸に抱きながら新しい顔は、試行錯誤をくり返しながら仕事をこなしていきます。こんな風にきっといい事も悪い事も続いていくのでしょう。今回突然紹介したくなったのは、後者の私の可愛い弟子の話です。Oさん。この2003年10月3日に当クリニックを辞められ、専業主婦になられます。可愛い息子さんと御主人の3人暮し。もうすぐ新しい家族が加わります。1969年8月1日生まれ 府中市生まれO型、しし座でコアラ。彼女は大変明るい人で、まさに天真爛漫というイメージで、ムードメーカーです。彼女がいろいろ悩んだ末での決断。それは...

以前一緒に働いていた病院を辞めてついてきてくれました。先日知ったのですが,その時『院長がおらんかったらつまらんやろ』と婦長にいってくれたようです。彼女の大きな愛を感じました。今までありがとうございました。また一緒に人生のレールを歩けることを強く切望しています。この頃は感慨深い日がつづきます。眠れない日も、多くの人達に支えられながら、我が『さいきじんクリニック』は今後も突き進むのだろう... 最後にこんな言葉を彼女に送りました。

『臥薪嘗胆』 中国の故事の一つですが春秋時代、越に敗れた呉王の子「夫差」はかたい薪の上に寝て、苦い肝をなめ越王をやぶるためにぐっとこらえていた。目的を達成するために厳しい環境のもとに身を置き、困難に耐えて苦労することを意味します。

『一蓮托生』 死後、極楽浄土でともに同じ蓮の花の上に生まれ変わるという仏教の教えから結果の善し悪しとは別に互いに行動や運命を共にすることを意味します。時がたてば、何もなかったのように、何となく時間は進んでいくのでしょうが、私は素敵な出会いと別れを大切にしたいしこれからの新しい顔(新人の方々)にもそんな思いでつきあっていきたいと切に思うのです。どうか応援して下さい。

平成15年10月3日

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<院長の独り言 パート11> 
『ある患者さんの人生の転機...』     

今回の独り言は... 当院にお通い頂いているある患者様Nさんの話です。

この患者様Nさんはとある病院の御紹介でおこし頂いた患者様ですが、今回突然紹介したくなったわけです。

Nさん。この2003年8月20日に長年やってこられた飲食店を辞められました。息子さんらの勧めや御自身のお身体の状態 などから継続不可能と思われたようです。いわゆるこの患者さんの店は○○食堂という大衆食堂でした。今時は大変珍しい食堂でした。

医学的にこの患者さんの歴史を描くと1969年に糖尿病、1989年糖尿病性網膜症にて視力低下で手術、2002年高血圧、腎臓障害。その後しばらくは安定していたが2003年6月頃から徐々に腎機能悪化してきた。2003年8月には更に悪化したため集中加療中。といった感じでしょうか? 人としての歴史は1921年終戦後に台湾から帰国、何も職のない時代に天性の器用さを生かして福山の伏見町にて食堂を始める(当時は周りにビルもないところの新しいビルであった)。板前として寿司や魚のさばきを行っていた。糖尿病を1969年前に患い、1989年目が見えなくなり板前として寿司や魚のさばきをできなくなり、2002年11月むくみが出現し、心配でとある病院を受診し高血圧、腎臓障害と診断され当クリニックを紹介された、その後しばらくは安定していたが、2003年6月頃店の経営の問題や身体の状態に加えあととりの問題さらに息子さんらの勧めがあって継続不可能と思われ、店を閉める決断に迫られる。この頃より頑固な一面、自分で何事も行ってきた性格であったものの涙もろくなり、目が見えないせいか自分で何事もできない不自由があり気弱になってきた。2003年7月頃には『店をたたむ』などの話がちょくちょくでてきた。と同時に初めての低血糖を経験し更に気弱になり2003年8月初旬頃店を辞める決意をする。そこから急に不眠や考え事が多くなり店のかたづけ等で疲労困憊で腎機能が一気に悪化した。といった感じでしょうか?

このように人生を加えてみるのと事務的に記録するのではかなりの違いを示します。どちらが読みやすいでしょうか? どちらがより 興味深く見れましたでしょうか?

私はこの患者様のお店に2回お邪魔しました。閉店の最後の時は御一緒させて頂きました。患者様は「こんな汚らしいところへ恥ずかしい」と言われました。でも私は感謝しました。50年間の歴史あるあのお店の幕引きに立ち会わせて頂けた、こんなすばらしい事はないからです。もう一生そんな機会はないかも知れません。それほどその患者様の歴史は長く尊いものだと思うからなのです。その日は感慨深く眠れない日でした。次の日はなんと晴れていました。まるで『お疲れさま』と天がその老夫婦に優しい木漏れ日を投げかけてくれているように...何となく嬉しくなってクリニックへ出勤した一日でした。そして『いつかその素敵な料理をうちの患者様にあるいはスタッフに提供できる日を必ず設けてみせる』と心にかたく誓う私でした。どうか応援して下さい。

平成15年8月22日

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<院長の独り言 パート10> 
『学会,そしてその意味...』 

さて記念すべき10回目の独り言です。よく続いたものだと思っています(けっこう根気がいります、持続というのは)。これからも書き続けますのでどうか御声援よろしくお願い致します。 なかにはこのコーナーを楽しみにされている方もおられると聞いて大変嬉しく思っています。 だから続けられるのかもと思いながら...

今回は『学会そしてその意味』という題材です.本当は今回は一般の方とくに患者さんに聞い て欲しいのです。 患者さんのなかには『学会に夢中になってもっと我々をじっくりみて欲しい』とおっしゃる方も おられるでしょう。
また『学会なんてつまりは休むための口実じゃないか?』と極論をいわれる方もおられるかも知れません。
人の思想は実に自由ですからこんな時に私は理解してもらおうと思っていません。そりゃ分って もらえるのが一番ですが...しかしあえて今日、この議題に的を絞りました理由は

(1)医療の世界の中を少しでも理解しようと思っておられるなら...
(2)少しでも医療従事者の立場を理解して頂けるなら... と思いここに思いきって書く事にしました。今の世の中はきっと医療不振の吹きだまりなのは重々知っていますが、そんな中だからこそ今こそと思いました。

前置きが長くなりましたが,医療というものはそもそも
(1)臨床 患者さんを実際に見て診察治療を行っていく行為
(2)教育 後進を育てるために教育し,少しでもハイレベルな医療の提供を行う
(3)研究 日頃患者さんの身体の事などで疑問に感じる事を本を読み、そしてまだ充分解決できていない部分を補修し少しでもハイレベルな医療の提供を行う。
この3つがそろって始めていい医療が提供できると考えています。
学会や論文提出は、とくに (2)教育 (3)研究 の要素を多く含んでいます。詳しく述べますと..

(2)教育 若い人達に文章力をつけるために、常に考える練習をしてもらうために、新しい論文の考え方を収得するために...これが教育になります。まずはある程度強制的であってもグイグイ引っ張っていかなければ中々勉強をする気持ちになる人が少なくなっています。したがって本を読む事が少なくなっています。これは何を意味するか? 今の医療はすごいスピードで進化しています。斜め45度の急斜面を上るかのごとくです。

一方本などを読んで知識を積まなければ緩やかに医療知識は落ちていきます(加齢による忘れるスピードの方向しかありません)。つまり医療技術は落ちていく一方です。全てを知る必要はありません。でも少しでも刺激を得ておかねばどんどん低下します。そして最終的に同じような繰り返し作業の能力しか残りません。頭を使わずにできる仕事です。

1. 職員にとってはこれはつまらない仕事になります。
2.患者さまはどんどん低い知識レベルの医療を受ける事になり新しい治療は受けれません。

つまり学会は新しい発見を得て刺激を受け、福山に留まらない医療を確立させていきます。これは患者さまにとって我々医療者がより多くの手段を手に入れる事になります。

また
(3)研究 についてはいつも職員には口酸っぱく申していますが、患者さんにお返しできるような研究でなければなりません。血圧を下げない工夫をするためにどのような手段が適当なのか? などです。
普通の会社でも(1)普段の仕事 (2)新人教育 (3)研究/開発 を行っているのが普通です。

トヨタの製造工場では (1)今ある車の製造  (2)新人教育プログラム (3)開発チームによる排気の少ない車の開発等、つまり医療の世界でも必要な事なのです。むしろ医療の世界でこれがきちんとできているところが少ないでしょう。当たり前の事ができていません。それなのに利益優先を求めるとあとできっと、とんでもない事になるのです。医療も他の仕事と同じです。いや今までベールに包まれてきたからこの点が遅れている気がしてならないのです。病院選びの本が最近よくでています。でも最も大切な事は明るくて、素敵なスタッフがいてその上閉鎖的でなく普通の企業と大差なく教育、研究をたくさんしている施設が素敵な病院と思います。大学の中にも売名行為のためだけに 研究>患者さんを診る事 の関係を持っているところも多々あります。全てではありませんので心配ないですが、事務的な感じのする医師や病院は大変危険です。我々は大学のように高尚な研究は施設もないし、金銭的にも補助もないので今は無理ですが、今の現状にあわせて、患者さんに苦痛のない検討をこれからも続けていきます。どうか応援して下さいね。

平成15年7月20日

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院長の独り言 パート9> 
『時間と場所...その割り当て』 

時間は無限にあるようで限られたものです。場所も同じように無限ではありません。

このコーナーでどうしてこんな題材を提案するのか?しばしおつきあい願えれば幸いです。
それは最近当クリニックの中でスタッフや患者さんとおつき合いさせて頂いている時におもうところがあるからです。全ての人で共有の時間を過ごしている現実はありますが(実際私の過ごしている、6月26日13:50は他のスタッフも同じ時間を過ごしています)、個人個人でその割りあて方に違いがあるようにおもうのです。その違いが温度差となって思いの衝突があるのではないか? とも思えてならないからです。もちろん、如何に個人個人の割り当てが違うので『ゆっくりの人はゆっくりでもいい』と言っているのではありません。物事には程度と言うのがあります。急ぐべき時にゆっくりでいいはずがありません。まず時間の時間割りにおける実例をあげましょう。

ある人物はいわゆるアーチストの部類、売れっ子作家です。こういった人たちの頭の流れはどうでしょう。こんなことはあまり考えたこともないでしょう。でも多くのアーチストの頭の中は恐ろしいほどの回転を行います。いつもは怠惰に見える人たちなのですが、締め切りが近付く、目標設定ができたら爆発的に頭の中に世界ができ驚くべくスピードで過ぎていきます。この時間は通常の人と比べると光ファイバーインターネットと通常の電話回線インターネットとの違いはあるでしょう。つまり時間割りが違うのです。彼等は怠惰に見える時期は無意味に過ごしているのではなく、いわゆる今からマグマを吹き出す前のエネルギー充填時期なのです。
一般の人はそれを怠惰とみます。
違うのです。
本当の怠惰は目標を見失っていて自分の位置をつかめないこと。つまり目標が分からないから、自分の事に疑問を持っています。(俺は何をしているんだろう.自分の生きている事に意味はあるのか? 等)アーチストの創造性における爆発力は光のスピードを超えます。これは頭の中の回路は光の速度*○光万年よりも早いことを表し(閉じた目を開けば星が見える > 光のスピード)の関係です。アーチストの爆発的想像力の時間1分当たりは、凡人の1ヶ月や1年にも相当するのです。時間割りは違うのですから、当然話があうわけはありません.どちらかが会うように持っていくことが大切です。

場所について
これは自分の納得いく場所を見つけているか否か? で変わってきます.同じ場所でも人によって居心地が違います。なぜでしょう?それは居心地が悪ければその場所は自身のいるべき場所ではありません.しかしそんな場所であってもその本人側に問題があれば居心地のいいはずの場所さえ悪い場所になってしまいます。

ある恋人がいました。女性はお金持ちで男性は貧乏な下町にいました。当然親達は猛反対します。『環境が違う』と。そうしてその2人は引き裂かれました.でもそれから7年の月日がたって無駄な時間を費やしたことで2人はより強く引かれました。女性は今の地位を捨て男性の世界に飛び込みまた新しい時間と場所を手に入れました。2人にとって7年は時間と場所がなかったのです.でも幸せなことに彼等は自分の居所をみつけました。人生ははかなきものです。
しかしその時間と場所をうまく使いこなせたら貧乏でも、金持ちでも、地位があろうが、なかろうが、素敵な人生になります。

あなたは時間割り、場所割りがうまくできていますか?

平成15年6月26日

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<院長の独り言 パート8> 
『白い巨塔 と 医療の世界...』 

1980年代、今から25年近く昔のことです。『白い巨塔』という医療を問題としたドラマがありました。今でこそ『ナースのお仕事』『振り返ればやつがいる』『救命救急24時』『白い影』『ブラックジャックによろしく』など医療現場が多彩な形でお茶の間にドラマとして登場する時代ですが、この『白い巨塔』は25年前にドラマとして一世風靡していました。

田宮二郎ふんする主人公が権力をふりかざし、裏工作(金や政治的圧力などを用いて)で教授になり、さらにその後も野心むき出しに強気に突き進む。しかしその強欲で自信過剰が足下をすくう結果となり、その後彼は遺族から誠心誠意の医療を受けれなかった事に対して訴訟され2審で敗訴、また自身も皮肉なことに専門分野の消化器ガンでなくなるというヒストリーです。
実に31話という長編ドラマで特に面白いと思われるのが、
(1)かげの医療の世界(教授の人となりや部下に圧力をかけ自分に有利な状況を作り上げていく虚実の世界)
(2)裁判の模様(証言をおこなう人達への政治的圧力,弱い立場のものを言いくるめていく世界)
(3)善と悪の対決(政治的圧力にものをいわす医師と誠実に患者さまと向き合い自身の立場を失いながら圧力に立ち向かう医師)
(4)患者さまとの様々なタイプの医師の関わりあい方 
(5)最終的局面では予想通りの展開で,全て順風満帆にいっていたように思われたものの誠実な医師に及ばず敗者になってしまう

機会があれば皆さんにも是非みて欲しいと願う天下一品の作品です。
聞き及ぶところではリバイバルでこのドラマされるそうです。乞う御期待です。

さて一方、実際の医療はどうなんでしょうか? 今医療訴訟問題が大変増えています。その原因はこの度ドラマでも示されていましたが、やはり人間どおしのつきあいが基本です.何も難しく考えることはいりません。どんなに優秀な人間でも、どんなに素晴らしい地位を得ようとも関係ないのです。いわゆる一般の企業と何らかわりはありません。
我々も顧客(患者さま)に満足を提供すればいいのです.患者さまの満足が我々の満足と同じラインにあればいうことなしです。

よくこんな光景を目撃します。
仲がいいのでそこへ紹介をする医師の話しを度々耳にします。特に大きな予定はないのに自分の時間を削られるのを嫌がり診療を拒否するケースがあります。データのみをみて患者さんの訴えに耳を傾けず、データのみで治療を行なう医療が存在します。説明を一度も受けなかったとぼやく患者さまに会ったりします。大病院(大学も含む)の人間関係が医師としての序列でなく、いつのまにか人間の序列を強く感じ辞めた話しも耳にします。これで患者さん本位の医療と言い切れるでしょうか? 青臭いと批判を受けるかも知れません。

皆不安なのです。嫌な思いをしている人達はその対極にも嫌な思いを伝えてしまいますから、嫌な思いはずっと付きまといます。でも大切なこととしたら...最も不安なのは誰ですか?
そうです。患者さんたちなのです。医師やスタッフはプロの仕事ですから不安を感じて当たり前なのです。患者さんは『身体を治して欲しい』と同時に何を期待しているのか? 心の不安をとって欲しいと何度も我々のもとへ馳せ参じられるのです。当たり前の事をいっているようですが、ごく自然にその感覚を感じとっておられる方が何人おられるか? 『白い巨塔』は皆にそんな医療の不思議な現象を教えてくれます。また『白い巨塔』は今も医療の世界を取り巻いています。また患者さまはそのことを知らないのです。どうすれば知れるでしょうか?その施設にいってみて下さい。まず明るい感じがしますか? 説明を充分行なってもらえてますか? 自分がわからないところを聞いても繰り返し教えてくれますか? 自分が真正面でつきあえばつきあってくれるスタッフで溢れているところが、患者さんのいる場所なのです。また大切なポイントがあります.他の医師に紹介をしてもらう時,貴方の意図にそっているかどうか?紹介状では詳しく漏れのない内容で紹介(一生懸命患者さんの状態がわかるように紹介)してくれていますか?患者さんは自分で選べる時代です。

自分のフィーリングを大切に一度『白い巨塔』をみてみてください。きっと医師選びの多くのヒントがそこに隠されていますよ。

平成15年5月20日

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<院長の独り言 パート7> 
『バランス 義務と権利は...』

バランス。これはつりあいを表す言葉です。ある物は一つのものでは存在があっても、その対極のある物があって始めて存在価値を示す、そんな時にバランスは有用な物です。

楽しい事があれば、悲しい事がある。喜ばしい事があれば、怒り出す事もある。つまり陽と陰ですね。ポジテイブとネガテイブがこれにあてはまります。人間はポジテイブのみでもネガテイブのみでも生きていけません。今日は義務と権利についてそのバランスについて私見を話したいのです。

あるオフィスでの光景
社員の一人がいいます。
『休みも充分もらえず,給料も安くてやってられないな-』
さてこの社員は充分その会社に貢献しているでしょうか?
答えはほぼ100% Noです。これが義務を果たしていない権利のみの主張です。
権利を主張する人の特徴は決まっています。
(1)自分に自信がないのでなるべく周りの人を巻き込んで味方に引き込もうとします。そんなに親しくない人でもさも昔からよく知っているかのごとく...
(2)権利しか見えていません。義務を守っていない事を自分自身が最も知っています.
(3)能力のない人が言います。

これは残念ながら確実に言える事です。自分に能力がない事を自分が最も知っています。しかしなんとか自分の願いを叶えたい。必死です。そして自分が最も望んでいるのに、さも他人が望んでいるかのごとく、自分に被害のでないように他人を引き合いに出して話をします。
もしこんな話しにのったら、その人の代わりに表の被害者になります。
私は大変気の毒に感じます。表の被害者よりも裏の被害者を...

こういう人は一時的に幸せをつかんだ気になりますが、けして幸せにはなれません。権利の主張を主張するためには,自信を持てる程まず相手に認めてもらいましょう。大切なのは評価は他人がするものです。自分がいくら頑張っていると言っても、自己満足していても管理者は色んな人をみています。仮に自分が会社社会でいい業績をおさめていても絶対てんぐになってはいけません。もっと大きな視野でみている管理者は他の施設の実力者を多く知っています。
『井の中の蛙』にならないようにしなければいけません。

追伸       
先日、京都へ日帰りで墓参りにかえりました。古都の桜を楽しんで下さい。↓

八坂神社

八坂神社 4/13

音羽小学校

音羽小学校 4/13

笠原寺

笠原寺奥道 4/13

円山公園

円山公園 4/13

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<院長の独り言 パート6> 
『校歌 そして日本人は...』

(1)音羽の峰にかかる雲、雲はながるる美しく。そこに学べる子等は今、強く正しく進みゆく。高き理想を仰ぎつつ.高き理想を仰ぎつつ。かがやく若き命、わが音羽。
(2)曉の光の中に。今、目ざむ。牛尾、音羽、山科の~野に流れゆく。緑の風,清く新らし。輝く若き命、わが音羽。
(3)静かなる空の青。くも白く行き交えば。さ緑の葉揺る学舎に肩を寄せ、瞳を寄せて胸熱く白き花の輪、美しい都の土に~。  東綾の丘こそかおれ。

唐突に思い出し書いてしまった。
(1)は京都市立音羽小学校校歌 
(2)は京都市立音羽中学校校歌 
(3)は京都府立東綾高校の校歌です。

いつもこのコーナーはそんな思い付きコーナーになってしまっている危惧をしながら..
みなさんは校歌を覚えておいででしょうか?
私はなぜかしっかり覚えているのです。最近呼んだ本の中で、PHP文庫出版の栗田昌裕先生は 記憶は一言で片付けられるものでなく、『覚える力』と『思い出す力』を分けて考えるとあり ました。

(1)記銘力(Memory)情報を覚え込む力  
(2)保持力(Strage)覚え込んだ情報を維持する力
(3)想起力(Recall)覚えた情報を引き出す(思い出す)力 があるのだと.....
特に(3)想起力(Recall)は大切で年齢と関係ないそうです。最近記憶が悪くなっていると御 考えのあなた... けして落ち込む事はありません。まずは好奇心を持って心構えを変え、イメージする事が大切 なようです。本当にイメージ通り起こる起こらないは神のみぞ知る事ですし、気楽にいろんな イメージをしましょう。若さの秘訣のようです。

若干脱線しましたが話をもとに戻しますと、私はこのホームページからも予想がつくでしょう が、音楽が大好きです。人にはやや片寄った音楽だと 言われそうですけれど...
だから他の全校生徒よりも少し興味を持ってイメージが沸きやすかったのかも知れません。特 に嫌な事はすぐ忘れますし勉強をしてもすぐ忘れてしまいます。こんな時は記憶がかなり落ち たと考えます。だから辛い。繰り返しが要求されるからです。

でも興味を持つ事ができればどうでしょう。きっともっと記憶はリコールしやすい状況でしょ う。
それと校歌が好きでした。日本人というのは利点でもあり、欠点でもあると思いますが、とか く集団意識が強く自身で問題解決できない時はすぐに仲間を集めて組むくせがあります。私も 例外ではありません。と同時に民俗意識が強く心から他を寄せつけない事もしばしばです。 これは非常に閉鎖的な現象を生み出し、結局は反発した人も、反発された人も得する人は出て こないのです。

私は校歌を覚えている。でもこれは民族的な要素、特に日本人で京都出身であることが原因か も知れません。その証拠に、校歌にはその地区の独特の情景やなによりも地名が入っています。
そしてその部分から曲が出ることもしばしばなのです。

私は京都を離れこの地区に参りました。両親には早く帰って欲しいと願われながら患者様とと もにこの地区に今もいるわけです。一人でも必要としてくれる人がいる事は医師でなくても、 幸せですしその思いをなかなか振り切る事はできません。だから変と思われるかも知れません が、これからも今いる患者様のためにスタッフのためにこの地区で必要とされる以上この地区 で頑張っていきます。

校歌はいいもんです。若くて素敵な思い出を多く思い出させてくれるから...その当時に通った本屋さん、駄菓子屋さん、威勢のいいおばちゃん、京都王将(その時の餃子の味さえ思い 出します)、その他西友ストアーなど。いろんな思い出があるもんです。何十年も前の事なの にこれだけ鮮明に覚えている事に、うちのスタッフは『よく先生は昔の事を覚えていますね』 と言います。そんな時は少しずるい人間になってしまって『記憶力がいいだろう』と得意満面 にして情けない事に院長の威厳を見せようとしています(実にせこいですが。でももうここで 発表してしまいました)。全ての事を覚えているわけでありません。私はあの時が眩しくて心 が輝いていたんだろうと思っています。だから美しい想い出、悲しい想い出色々ありますが、 その頃の事はいつまでも残るのでしょう。齋木豊徳が生き続ける限り。永久に...

これはいい反面、場合によっては日本人の悪い気質にも繋がると思っています。だからこそこ れからも心豊かに生きたいものだと願うものです。我々は人生の健康の手本にならねばならない反面、患者様の幸せを願うのに必死です。それが 我々の幸せに直結する事にも相通づると確信していますし、実際経験上そうである事が多いか らです。うまく行かない時はそれなりにがっくりきますけど...

こんな世の中日本人であるという事を誇りに思いながら、一方で欠点も知りながら,他人のた めに尽くして生きられる私は実は大変な幸せものなのかも知れません。
皆さん、何か行き詰まると校歌を思い出してみませんか? きっといい事あるんですよ。古くて新しい発見が、そこにあるはずですね。

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<院長の独り言 パート5> 
『一人の老人と俳優』

ここまで 1、夢と感動 2、趣味 3、近くて遠いもの 4、力の衰え について書いてきた。
読みなおして本当にこんなことホームページに記載して耐えうる内容なのか? 面白いんだろうか? などと思ったことも幾たびもあった。

しかし自分の職業もさることながら、この一瞬は医師を離れた『人間としての時間』なのだ。と 勝手な解釈をしながらやはりこんなことを続けていくのだろうと.....思い返してペンをすすめています。

先日当クリニックに某有名俳優さんが2度目の来院をして下さった。今回我々は 当クリニックの実績を紹介させて頂いたわけですが、その某有名俳優さん(T.Nさん)もリピー ターの大事なお一人です。福山で地方公演の演劇があるので、その際舞台で脱水になられるとの こと。その準備に当院に来られ点滴をして下さいます。このT.Nさんはある公立の病院の私の尊 敬する看護婦長さんの紹介できていただけるようになりました。実はこの間T.Nさんが久しぶりの映画主演をされました。私は劇場に足を運ぶことはできなかったのですが、DVDを購入し拝見 させて頂きました。そこには頑固で一途なT.Nさん演じる老人とその娘たち、なくなる奥様の家 族愛が示されていました。奥様は腰と足の悪いおよそどこにでもある情景のごとくの旦那様を支 え続け、身の回りの事を全てされていて...でもその奥様が突然亡くなられる。年老いて残さ れた老人として奥様への愛情や感謝の念が到底老人では不可能と思われる困難を克服しある目的 に邁進する。実は二人の間には哀しい過去と約束があったのです。その約束を守るために... 老人一人では到底無理と思える困難な場所へ足を運ぶのです。それを達成した時その老人はなん とも言えない哀愁と哀しみの眼を見せていました。私はその眼を忘れることができない程円熟し た演技をまざまざと見せられた気がしました。実はT.Nさんも近年実の奥様をなくされています。

その御経験がきっとT.Nさんにあのような演技を完成させたものではないかと直感しました。 福山講演の始まる数分前に楽屋に案内されT.Nさんは御自身の自叙伝的な本をつくられており、 その本にサインをして私に下さいました。私はその本に人間の円熟味をまた芸能歴数十年の重み を感じ取りました。つくづくこの頃思う事です。俳優だから、一般人だから...ではない。全 く持って人間の深みをこんな風にごく自然に備えられていて、表現されている。そんな俳優さんにであったことよりも、人間の深みを感じて感謝できたむしろそんな気持ちの方が大きく私を包 みました。他にも芸能人には偶発的にお会いしたことは山ほどありましたが、こんな感覚は初め てでした。ありがとうございました。T.Nさん。私も分野は違いますが、円熟味を出せる人間に 成長したいと思いました。私はT.Nさんとお会いできて大変一般教養では学べない大切なことを 教わったことと認識しています。生半可な気持ちでは無理だと思いますし、私もまたT.Nさんに 近付けるプロのそして人間として素敵な男性になりたいと思っています。

またお会いできたらすばらしい事だと思います。益々お元気でお身体を御自愛下さってご活躍く ださい。影ながらさいきクリニック一同で御活躍をブラウン管をとおして拝見させて頂きます。
そして芸能関係者だけでなく我々一般人にもその風格をお伝え下されば嬉しく思います。

ある日白い犬をみました。今ちまたでは『アイフル』等の宣伝で「チワワ」が人気だそうですが、 白い犬は天からの授かり物として扱われる事があります。私は白い犬を見る度に切なくもなりますし、T.Nさんとの情景を思い浮かべるイメージが出来上がるのです。

T.Nさん.If it is possible to meet you , see you again sir.

<速報>
先日、大阪まで出かけました。2年ぶりのTULIP の復活コンサートです。私は京都の電通のI君と出かけました(何回かここでも出現している彼です)。以前TULIPは大抵年に2回ツアーをやっていました。あの時はチケットも簡単にとれ、2階席は結構空いていたのに...今回は2階席でした。でもすばらしかった.まわりは40-50代が主体のファンでなかには60歳の方もいましたね..
そんな歳老いた人たちが熱狂的に立ち上がって叫ぶ姿に、感動しました。世界情勢や日本の情勢は光が見えない時代であっても私の頬を流した涙は『悲しきレイントレイン』『We Can Fly』で最高潮に達していました。

いつまでたってもTULIP はすばらしい。どんな時代が来ようとあの大阪フェステイバルの一瞬を共にした皆様はきっとかけがえのない思いを掴んで帰ったのでしょう。TULIPという博多出身の田舎のバンドが音を通じて我々に訴えているのは人生であり、愛の究極である気がします。『悲しきレイントレイン』は聞くと涙がでます。この曲はある決意を持った主人公が独り汽車に乗って別の土地へ行くストーリーです。

It's rain train .雨降る中を It's rain train .ただ汽車は走る
It's rain train . 今この僕に It's rain train .恋はできない
雨は空の涙だと いつか君は言ってたね 空よ激しく
もっと泣くがいい 
この悲しみが消えるまで 
やがて僕は一人きり 
人生の長い度に出る 
その時君に手紙を書くよ 
東京行きの切符を入れて...

私は18歳で京都から岡山へ移動しました。その時封じ込めた思いがありました。コンサート後I君にも言われたのです。『斎木が岡山に行く時にバックミュージックで鳴っていた。この曲で送りだしたから、俺もこの曲を聞くとお前を思い出す』と『We Can Fly』を選択された事は(実はI君とも話していたのですが、コンサートで1回しか聞いた事がない)こんな時代で光のない世界にどんな考えを持てばいいのか?それを伝えていたのだと思います。

さあ ここへおいでよ.新しい世界へ さあ ここへおいでよ 新しい世界へ
昨日は昨日 道ばたに捨てて 幸せ契約 僕とかわそう
僕は思う いつもいつも 恋は人を裏切るけれど
大事な事はいつもいつも愛は人を裏切りはしない

いいコンサートでした。もうコンサートはないかも知れません。でもまたきっとどこかで。
Someday , somewhere , someplace , TULIP Believe in Magic For TULIP Fun  と信じています。

追伸:TULIPファンの方もしここで偶然にお会いできるなら、メールでフリーなトーク等させていただければ嬉しく思いますOff Courseファンの方も大歓迎。 

メール info@saiki-cl.com 齋木豊徳まで よろしくです。

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<院長の独り言 パート4> 
『力の衰え』

人間の能力は無限です。しかしながら残念な事に年齢と共に落ちて行く力は隠せません。そこでその力について今日は気ままに書いてみようと思います。年齢と共に力はどうなるのか?

1、体力 これは必ず落ちるものでしょう。人間に寿命がある限り自然の営みに抗う事はできません。

2、気力 これは必ず落ちるものではありません。今までの環境や心の問題です。
皆さんは体力の低下=老いと考えていませんか? またそれを理由に自分は衰えたからといって、何でもそのせいにしていませんか? 恥ずかしながら私は正直そんな感覚を感じた事があります。『自分の反省すべき点なのだ』と常々思っています。

最近呼んだ本で心に感銘を得たある一人の尊敬すべき先生の事を紹介します。
東京の聖路加国際病院の理事長 兼 名誉院長の「日野原 重明 先生」です。
先生は以前から存じていました。というのは、私の出身大学川崎医科大学の前院長で学長もなさった「柴田進 先生」という方と日本で始めて『Problem Oriented System= POS 』を医学会に導入なさった先生だからです。また出身大学の救急部でお世話になった先生方が聖路加国際病院で一戦で働かれているのは運命めいたものを感じていました。当時私はそれほど先生に興味があったわけではありませんでした。先生の人となりを知らないですし、どういった先生かは全く予測がつきませんでした。近頃 『How to live well 生き方上手』という本を書かれまして拝読し、びっくりしたのは現在も現役でいらっしゃる事でそれ以上に驚いたのは私のような小僧よりも更に前向きで若々しさの感じられる気力みなぎる本だったからです。92歳の先生の本から気力を感じるなどまずない事と空想していました。驚く事に分単位が仕事であって、我々が怠惰と思わずにいられないのです。ターミナルケアーや心の相談室、もちろん教育も行っておられます。生きた字引きとしか表現がみつからない程、日野原先生の本は素敵な内容が盛り沢山でした。皆様も良かったら読んでみて下さい。

ローマのユヴェナリスは有名な言葉を残しています。『健全な精神は健全なる肉体に宿る』と...だからこそ私も反省し、これからも健全な精神で生きたいと願い、患者様にも健全な精神を与えられる存在になりたいと願わずにはいられないのです。治す治療からいやす治療へ。時代は『いやし』の時代突入です。

我々も『いやし』を求めるように、患者様にも『いやし』をプレゼントしたいと願う今日この頃です。

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<院長の独り言 パート3> 
『近くて遠いもの』

つくづくこの頃思う事です。皆様も経験されている思いでしょう。仲のいい友人(大切な友人ですが京都のI君やK君やN君、三重県伊勢のH君)、家族、水や空気など。近くて遠いものについてです。実際の距離が離れているケースもありますが、近くにあっていつもあるからこそ忘れている(忘れてはいけないものなのに)安心している(いつもあるのが当然などと思ってはいけないと思いながら...)。

そんな大切なものや人をどう考えているのか? 最近の自問自答です。
医療関係者においてその最たるものは患者様でしょう。仕事が多忙 → 事務的になりがち → 実際に失う などなりがちです。

ある患者様から最近2つの同様のお話を聞きました。近年パソコンを用いた電子カルテというのが導入されているところが増えています。カルテ整理においては私も今後導入していきたいと考えていました。
しかし少し戸惑いが生じました。その経緯とは...私の患者様が転勤などの理由でこのシステムの病院に通われ、思われた事。その患者様は医師が顔をみてくれない、人間の暖かみを感じないと言っておられました。またもう一人のかたも同様な理由とシステムに医療サイドが入り込み、患者が取り残されたような感覚を覚えた気がした... とおっしゃっておられました。

大切な事は現在の電子カルテシステムは始めて患者様が病院に行った際、おそらくわずか10分以内の時間でそのように感じられるシステムであるだろうということなのです。電子カルテは病院側から申しますと、患者様のためデータを有効に保存し経過を追いかけるのに有効な手段です.小生もおおかた他の医療従事者と同様にそのように考えています。また人と人の間のミスを減らす目的もあるでしょう。年カルテ開示が認められ。我々はカルテ保存を重視しなければならない。そのような群集の声からもカルテの保存の重要性が伺えます。そういった意味合いからも改善は必要ではないか? と感じています。

話はやや脱線しましたが、皆さんは1994年の渇水をご記憶の事でしょう。私はその際に強く思えた事がありました。私の中にある『近くて遠いもの』の存在。それが大変大切でかけがいのないもの、でも近くて見えないもの...私は若さゆえに逃したものも大きいのですが、今お悩みの皆さんに今一度ゆっくり考えて頂きたいそんな思いなのです。間違いは、今思えば恥ずかしい事は山程ありますね.今までだらだらと書き綴った中に大きな共通点があります.今の御時世の中求められているのは心を中心としたことだと言う事。癒しがこれだけ人気があるのはなぜなのか? そこに答えが隠れているものと思います。

近くて遠いものはきっと皆さんの心のわからないところで潜んでいます。そしてその人の人生の危機になって初めて表れてくるものなのです。また神様はきっと順風な時には頭のもっと奥にしまいこんでしまわれて、大事な時に出して下さるのです。我々はその大事な時期を見のがさないよう日々人生訓練を行っておくべきなのでしょう。でないと、その近くて遠いものは本当に遠いものに変身して手の届かないところにいき、二度と会えなくなる可能性が高いからなんです。

平成15年1月

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