
<院長の独り言 パート66>
『幸せの扉 ―嫌なこともいいことも―』
さて今回は「幸せの扉」ついてです。日ごろから皆探している究極のものといっても過言ではありません。 実は私、最近いいことないなあ…って思うことが多々ありました。うまくいかない新事業や友人の母親の死や部下の失恋やら…
色々悪いことばかり考えていました。 しかし一方よく動いていたのも事実です。そんな時こそ幸運の切符が舞い降りてきます。身体はしんどいけれど、悪いことばかり考えていた自分に環境を少し変えるだけで悪いことから楽しい 事が舞い降りてきました。環境から楽しい事が見つかるものです。普段しないことは皆さんもいっぱいあると思います。 そのしていない事をやってみればいいのです。私は一人で知らない土地を歩き回るなど、色んなことに 探究心旺盛であります。まるで子供の頃自転車に乗れるようになって行動範囲が拡がったときのように…だからできるだけやった事がないことをいっぱいしましょう。
結論から言うと幸せの扉は自分の心が誘うものではないか? と考えています。嫌な事があると人間は、特にまじめな人ほどどうしてもその事から離れる事ができません。 もともと人は真面目に考えることを嫌いではありません。全ての自称に遊び心を持ってみましょう。 そしていい事を考えるのも難しいので、いい方向へチェンジする方法に普段しないことを行う…そしてそれには環境を変える方法がいいのではないか? という案です。
大好きな私に関わる全ての人々に、幸が訪れる1つの参考になればと思います。.
2008/9/5 さいきじんクリニック. 齋木 豊徳
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<院長の独り言 パート65>
『人生の基本に考えること ―若さの象徴―』
さて今回は「人生の基本」ついてです。日ごろスタッフたちに伝えていることです。
この独り言では前回こだわりについて話しました。こだわりは極めて重要です。自分らしさにつながるもの
だからです。
そして「わがまま」は好き嫌いでものを判断するといいました。今日のお話は少し似ているかもしれません。
多くの女性があるいは男性も「若くいたい」と努力しています。しかしいつしかよる年に呑み込まれて難しい
現状を知ることになります。
人間の構成は 1身体 2心 3環境です。
それぞれが年をとっていきます。しかしこの1〜3は全て関連があるのです。
身体をいい具合に保てば心も若々しくいれます。身体が若くても心が年をとっていれば老いていきます。
しかし再三この中でも申し上げてきましたが、今は見かけいわゆる身体のみを若々しく保ちたいという
方向です。
いくら外見が美しくても心が年老いていたら魅力は出ません。一方外見を保つことで心を
若々しくすることも出来るのもまた事実であります。
前置きが長くなりましたが、今回は人生の基本として物事を判断するときに「正しいか間違いか」
これを基準においている人が多い事に最近私は気づきました。
自分の選択が間違っていたらどうしよう? そうしたら不幸せになるのではないか? などとあるかどうか
わからないことで不安を感じています。その時点で立派に私は不幸せだと思っています。
人は臆病なものです。しかし思い出してください。子供の頃を…正しい、間違いが基準でしたか? 子供の純粋な思いは「自分のしたい事」がはっきり見えています。
臆病になった「自分がしたいこと」ははっきりみえていますか?多くは他人の目から見てどう映るか?が
基準になっています。「正しいか間違いか」を基準においたとき人は動きを止めます。いやあ動けなくなるといった方が妥当
かもしれません。私はスタッフにいつも言っています。「正しい、間違いを基準におくな…そこに魂を込めて
一生懸命であれば何も言わない。叱ることもないぞ」と…
要は一生懸命であれば選択ミスはオーケーであります。
自分の子供がいて、受からないであろうと大方予想されている受験をしました。一生懸命頑張りました。
その子を叱りますか? こういうときの対処が最も大切です。
正しいか間違いか? より一生懸命魂を込めたか? がより重要なことなんです。
とかく人間は目に付くことをもって結果のみを見て判断します。我々は人間を成長させるという理念を
もって医療に取り組んでいます。
時にはこの独り言も愚痴っぽくなっていました。今更ながら恥ずかしい思いであります。しかしながら
それも私自身の…単なる成長の一過程に過ぎません。
立場や職種の関係上多くのことを求められる事が多くなってきました。私は風になってそれを受け止める
事に心がけています。
なかなか一生懸命持続していくことは難しいのですが、生きることとはそういうことではないかとつくづく
思う今日この頃であります。
2008/8/1 さいきじんクリニック. 齋木 豊徳
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<院長の独り言 パート64>
『仕事事情 ―恋愛影響―』
さて今回は仕事事情についてです。この独り言で取り上げてみるのにタイムリーかなあ、と考えてます。
最近話題になった話に、女の人が同じ職場の人と付き合うとどうなるか? という議題で 感情が入るからできないというのが圧倒的でした。また仕事への影響は? にも多大に影響すると思う。が多かった。
私はこのように考えています。 仕事は昭和始めから40年代にかけて男性がやるもので、女性は家庭で守る、育てるの時代でした。 男女平等がいわれてどんどん女の人が実社会に入ってきました。大変いいことと思います。しかし、一方不安があります。 女性の男性化、男性の女性化が起こっています。女性は男性的にならざるを得ないところにきています。 その最先端たるものとしての結果が、結婚願望を失う、少子高齢化の波に現れています。
「わがまま」と「こだわり」の違いはどこにあるのでしょう? どちらも一見してやっかいなもののように思いますが、「わがまま」は結局は好き嫌いでものを判断しています。 「こだわり」は好き嫌いという感情ではなくて個性であります。いわゆるその人らしさとでも申し上げればいいの でしょうか?
「わがまま」な人は人と接するのが上手ではありません。人に嫌われることを恐れています。人に嫌われない 努力が最優先であります。ですから自分の食べたいもの、飲みたいものもなかなか決めれません。好きな人に あわせることで好かれようと努力をしています。 好き嫌いが最初の根底にありますのでできれば嫌いな人に接触をしません。避けて通ろうとします。そうする事で 自分の居心地空間を保つのです。
「こだわり」の人は誰が何をしようと何を言おうと関係ありません。自分の意思決定がはっきりしています。 自分らしさが強烈です。他人に自分を動かすことは出来ないと思っています。 天地の理は、自然界と向き合わないと生きることを難しくします。 どんな環境にいても自然と向き合うことをせずに生きることは出来ません。 学校、住民との付き合い、職場など そこには必ず人が存在します。人との付き合いなしで一方的に好き嫌いを 決めてはじいていたのでは天地から見放されるのはきっと当たり前のことなのです。 今どこの会社でも医療機関でも3年以上働く人が少なくて困っています。そんな話ばかりを聞いています。 私は辞める人が悪いと思っていません。職場にも大きな問題がありますが、今はむしろ人の性別的なバランス 、人としての自然界でのバランスの崩れが原因となっている気がしてならないのです。 もっと根本的な考えを是非考えてみたいのです。
なぜ自分は生を与えられたのか? なぜ今も生きているのか? どうして学校や職場の人に出会ったのか? どうしてこの親から生まれたのか? なぜこの学校に入ったのか? この職業に就いたのか? 神様はいつも与えています。試練を…私たちを育てようと試しています。 その大きな山を越えようとしがみ付いてくる人間に対して、その先にある美しい風景と空気、何よりも充実感を与えようとしています。
しかし神様は超えられない試練は与えません。それを意識できるならばきっとあなたは試練を乗り越えるため に頑張ろうとするはずです。仕事事情は、今すごい変換期であります。きっと多くの方がいい環境とはいえないでしょう。どこに行っても そうたいして変わりはありません。 人間には2種類。男性と女性。各々が平等を旗印に変わってきました。一方日本人のヒューマニズムが なくなって、「こだわり」を捨て難しい頑固親父も減りました。日本人はグローバル社会になじんだ証拠ですが 日本人らしさがなくなれば全世界に対して日本人の価値は失います。
もう一度男性とは? 女性とは? を意識していきてみましょう。 私は以前もこのコラムで結論に職場恋愛はありと締めくくってきました。今もその気持ちに変わりはありません。 しかしその付き合いがゆえに個人的に好き嫌いが強くなり、仕事に支障をきたすのであればその付き合いは プラスの付き合いではなくマイナスの付き合いであります。 仕事はどんな職業でも好き嫌いでするものではないからです。嫌いな人とは仕事をしたくない… 個人的にはわかります。しかし大きな視野に立って見た場合それは間違いです。 嫌いなお客さんが来たら、そのお客さんには笑顔で対応できない…そんなウエイトレスがいたら…嫌いな職員がいたために、報告を怠って患者さんの治療が遅れた…こんな事が起っていいはずがありません。あなたの好き嫌いがお客様や患者さんに影響を多大に与えることを知る必要があります。
私は介護福祉士の学校に教員として教えに参ってました。 その際ですが数名の学生さん達は何のために学校に来ているのか? がずっとわからなかった… だから話をしたいなら自由に外に出ていい…と言いました。まじめにやろうとしている人の邪魔をする事だけは 私が守らないといけないと感じていたからです。介護の仕事でも「好き嫌い」があれば、好きなおじいちゃんやおばあちゃんは一生懸命みるけれど、嫌いな おじいちゃん、おばあちゃんは適当にあしらわれる…そんな事が起るのです。 神様でも仏様でもない我々が何ゆえに人を差別できるのか? ありえないことです。そんなことをした人は必ず 自分がそんな目にあうことになります。 仕事事情、恋愛影響 はお互い微妙なバランスの上に成り立っていて仕事も恋愛も○が一番です。 仕事○、恋愛×も仕事×、恋愛○もよろしくないのです。 皆さんもいい仕事、いい恋愛をするために好き嫌いをなくし、日本人としての誇りを胸にこだわって生きてみま せんか? いい人生がきっと待っています。
2008/7/2 さいきじんクリニック. 齋木 豊徳
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<院長の独り言 パート63>
『言葉は面白い“師”と“士”の違い ―そしてこだわり―』
いつも思うのだけれど、言葉は面白い。とくに当院では臨床工学技士という職種があって透析部門では 大変大きな力を発揮している。
技士という士に強い情念じみたものさえ感じさせるほど、技士たちは 技師と書かれると強く反応する。まるで自分の名前を間違って書かれたら怒り始めるかのごとく…そこで調べてみました。師と士の違いについてを…
さて資格の名称には「士」と「師」があります。 まず「士」は弁護士、税理士、社会保険労務士、行政書士、理学療法士、作業療法士、栄養士など 一方「師」は医師、看護師、診療放射線技師、柔道整復師、鍼灸師、美容師など 何故違うのでしょう?辞書で調べてみると 「士」:一定の資格・職業の人 「師」:技術・技芸などを表す語について、その技術の専門家を表す。 と書いていました。詐欺師も「師」がついています。詐欺師は資格の有無にかかわりなく、技を究めているからだそうな。「師」が就く職業の人は、技を極めているということなんでしょう。 案外うちの臨床工学技士は技士の「士」にこだわるけれども、結局はこの違いを調べている人はいないといっても過言ではありません。
言葉にこだわることと、内容(中身)にこだわることは大きな違いがあります。 言葉という物質にこだわるのは「みんながそうだから」「文字という違いを仕事の違いとしたいから」 などという非常に小さな内容であります。 内容にこだわるというのは、すなわち心がこだわるという事でいつもこのフログでもいっぱい描いてきた 一生懸命というキーワード、そして精神、魂のこだわりです。
あー、すばらしき臨床工学技士たちよ。確かに言葉の違いにこだわるのはいいことだと思うが 心のこだわりを忘れずにいよ。 君たちは「士」か「師」でこだわる程度の人じゃない。一定の職、資格をもつものとしての大きなプライドを持て。 私は思わずそのように感ぜずにはいられないのでした。
2008/6/2 さいきじんクリニック. 齋木 豊徳
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<院長の独り言 パート62>
『貧乏と貧困 ―それはおんなじ意味なのか?―』
去年の安部内閣は「美しい国づくり」を銘打って発足しました。しかし約1年の短命内閣でした。 日本はいや世界は環境を大事にしなくなってから、私はおかしな方向にいっていると思っています。
簡単な話でご紹介しますと、皆さんは 自分の住む家をゴミだらけにして、換気もせず放置していて、ゴミも捨て放題。このような不潔な環境で健全な精神と身体が宿るとお思いでしようか? きっと難しいと思います。 それが今まさに地球規模で行われていると思ってもいいのではないでしょうか?
昔は右を向いても左を向いてもイナゴがいたり、川を泳げば水カマキリやタガメなどもいて 近くの山にはセミやカブトムシ、くわがたがいっぱいいました。今探すのがしんどいですね。
幕末の鎖国で遅れた日本の状態を見て発展途上国から来たアメリカやイギリスの人たちは 国の見た目は確かに貧弱で未開な土地という認識であったようですが、実際の日本人と接触して その暮らしぶりから「日本人は貧乏だが貧困はないね」といったそうです。 これこそが日本文化の美しいところです。
ヨーロッパのような貴族的なきらびやかな世界は日本にはあまり存在しません。しかし各家庭には 畳、障子があり、瓦ぶきの屋根 四季折々にみせる太陽の素顔が存在していました。 こんなことから考えて貧困とは社会にどれほどの富や財を成していても、その恩恵に与えられずに 食に飢え、寒さに凍え、忘れ去られて捨てられた人がいること 今の現代では老人の中にそのような人が多くいる気がします。 今ある後期(長寿)高齢者制度はまさにその最先たるもんに思うのです。
私は昭和30年代の人間ですからその狭間にいましたが、今の現代は携帯電話、コンビニエンスストア 夜遅くまでのあるいは24時間の食事をする場所など、またゲームなど いろいろ便利になっています。 しかし一方忘れ去られた老人が多く存在します。この方たちは子供に孫に自分たちのように食うもののない世界で惨めにしたくない思いで一生懸命日本を作ってこられた方たちです。今私たちが存在する理由の 多くはこのような努力があってこそのものなのです。 我々は富んでいるように見えて実は貧困でもあるのです。
昔の日本は物乞いも少なく、社会の秩序を保って着るものがあまりなくても助け合って生活をしている そんな姿が多く見られました。そんな姿を見て外国人は日本人に対する尊敬の念も持っていたようです。 今は、自分さえよければそれでいい。自分を守るのに必死です。そのエネルギーを変換させてみんなで 幸せになろうと考えたときみんなが幸せにつながるのではないかと思っています。
こんな奇麗事を言っている自分も未だに自分中心な部分も多々あると思います。まさしく「あるがままを受け入れる」という松下幸之助氏の言葉を思い返すこともあります。人は結局、きれいに生きることはできない気がします。きれいでいたいと強く願うことや祈ることはとても 大切ですし、その信念は非常に大切だと思っていますが、いいところも悪いところもいっぱいあるからこそ 人間たるゆえんです。
貧困になるのは悲しい。貧乏でも幸せはありますが、貧困には幸せはなく、個人さえ良ければいいの精神のみです。もう一度貧乏に戻って暖かい日本の美しかった国を取り戻せるのなら(あの頃はみな貧乏 だったからかもしれませんが)日本人もまだまだ捨てたもんじゃないなあって思っているのは私だけで しょうか?
少し前回と重なる部分も多々あったかもしれませんが、この4月移動や新入が多いこの季節。 「私」を捨て「公」に生きる精神が私の今の日本に対する提案あり今回のコラムでもわかっていただければ 幸いです。
皆さんはどう思われますか?
追伸:先日当院の透析回診の最中に「先生、4月の独り言よかったですね」と声をかけていただきました。 Tさま、いつもご愛読ありがとうございます。照れくさくって少し事務的な対応だったかもしれません。 本当ははしゃぎたいくらい嬉しかったです。これからも宜しくお願いします。
2008/5/1 さいきじんクリニック. 齋木 豊徳
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<院長の独り言 パート61>
『許すということ ―それが全ての原点かもしれない― 3つのゆ(ゆるす、夢を与える、有言実行)を昨年実行したけれど…追記:久しぶりの便り:友から…』
最近「ゆるすということ」という本に出会いました。ジェラルド・ジャンポルスキーという人が書いた この本は素敵な本でした。世界に百以上の「生き方を変える、ヒーリングセンター」を設立されて 「ゆるし」は自由と幸せ、希望をもたらす唯一の方法である と述べているのです。
人間は完璧ではありえないことを皆さんは知っています。だからこそどうあるのが一番いいのか? このコラムでも何度も申し上げてきたことですが、私は世界の人々が統一した考えを持つことは できないと思います。だから争いが起こります。そして戦争がなくなりません。
相手に「自分の思想に併せろ」 というようなことが可能にはとても今の自分には思えないのです。 私は神でも仏でもない。したがって正しいことをしているわけでもありません。いや願っても叶わない ことなのでしょう。もっと根本的に考えてみて、そもそも正邪さえ怪しい問題です。正邪は勝手に 人間が思っていることかもしれないですね。法律にしてもどんどん改正されるのですから…
しかし人間は判断基準の一番最初に「正しいこと」を無意識にあるいは意識的において考えています。 実際にあの神や仏の教えでさえ、宗派の違いで喧嘩いや戦争を行っている現状があるのです。
ジェラルド・ジャンポルスキーは磨きよう(考えよう かな?)によっては、皆さん一人一人、自分自身 が黄金の宝物であるといっています。それに気づいていないのだと…
みんな宝物を探しに行くの だけれど本当は自分が宝物なのです。
「私は不幸である」「お金がない」そんな思いから周りの人にしがみつき、すがり付いてその関係 にすがろうとする。「物があれば幸せになれる」という勘違いと同時に「周りの人のせいで幸せに なれない」と感じています。この点はあのスピリチュアルカウンセラーの江原さんも今の世界は 「物質至上主義」であり、物の価値=人の価値になっていることが問題で、「精神至上主義」を唱えて おられます。
外面的なことにこだわる自分を「エゴ」と呼び、それは「あなたのためを思って」とその自分を正当化し ニコニコあなたに寄り添ってきますし。そして「世の中は不公平」と繰り返しいつも警戒をしていない とひどい目にあうぞ と囁きます。 最終的には「エゴ」は「ずっと幸せでいるなんて不可能だ。人を信じたら傷つくもんなんだよ。だから 幸せを手に入れたいなら物質的な現実に頼らなくてはいけないよ」と言うのです。 つまり人間は信じることはできない。だから物に頼れ…と そんなことはありません。人間を信じない選択もありますが、信じる選択もあります。またかりに 信じれないなら是非許すことが大切なんです。
本当に許すのは他人ではありません。他人を通して見ている自分を許すことが最終目標です。 具体的な例を挙げましょう。幼少期に親に虐待を受けたとします。 親が許せません。どうして親なのに私を虐めるの?私を虐待するの?本当に親ですか? この方は親が許せません。そのために犠牲をいっぱい背負って生きています。 親のせいで人を心から信用できずにいる。だから物は人を裏切らない。 恋人ができた。でも私を捨てた。人は信用できない。私しか信用できない(いや本当は自分さえ 否定しています)。物は私を裏切らない。多くを表現すれば自分が嫌われてしまう。無口なのが一番。 親を許せないから自分を認められずに自分を信じられない。 本当に自分を信じているならどんな状況でもそれを跳ね除ける、いとおしい自分がいるはずです。
もうあなたはいっぱい苦しんだんじゃありませんか? もう苦しまなくてもいいのですよ。 もう自分を許してください。そのために親も許してください。親が許せない間は自分を許せないはず ですし、これから先も必ず人間関係でごたごたは続くのです。 そこでこのコラムを見ているあなたに伝えたい。そんなに偉そうに言ってるけれど筆者は実際に 自分がそうなっていないからわからないでしょう…と思っているあなたへ伝えたい… 誤解のない様に言っておきますが私も父親に月に二回ほど殴られて育ってきました。またうちは 半端でなく文鎮を振り回してきたり、包丁が出て突きつけられたこともありました。 当然幼少時期にトラウマになりました。本当に私はこの人の子供なんだろうか?とまで思いましたし、 悲しい思いをしました。しかしそこから許すことができたときにいい関係でいれるようになりましたし 今では父に感謝さえしている自分です。 考えてみれば、「人生を生きる」と感じるのは生き生きした感覚を持つときですね。 新しい出会いや新しいプロジェクトを進行しようと思っているときなど、あるいは新築の家に入るとき などには人は生き生きします。 そして結局は生きることは「自分探し」の旅かもしれません。人生=自分を知ることなのかもしれません 他人を許すことは自分を許すためだと今回の独り言を見て感じていただいた方。きっといい人生が 開けます。もしまだそう思えない方はいっぱい話しをしませんか? さいきじんクリニック.では5週目の 水曜日に相談外来があります。是非お越しください。 今回のこの話を全ての人に知ってもらいたい。そして残念ながら我がクリニックを去っていった 愛しきスタッフにも届いて欲しい…そう思いながら一人院長室でコンピューターをぱちぱちと 叩いています。
2008 4/2 さいきじんクリニック. 齋木 豊徳
追記
さて先日私の大学時代の大親友 H君から久しぶりにメールをもらいました。またもう一人1年 ぶりにYさんからメールをもらいました。ずいぶん久しぶりで涙が出そうに嬉しかったです。 H君もYさんもとても大切な人たち…H君は医師で耳鼻科の医師です。才能溢れる彼はこの独り言をいっぱい読んでくれているみたい で、本当に「齋木」が書いてるの? と以前の君を知っている私からは想像できなかったらしくゴースト ライターでも雇っているのか?と思っていたみたいです。失敬だなあ。私が書いていますよ。 彼は、漫画を書かしても一級品。勉強させても我々凡人が見て勉強するほどのノートをまとめたり エレクトーンを習っていてピアノの腕も一級品。本当に才能溢れる彼です。そんな彼が私なんかを 友人として長く付き合ってくれていることにただただ感謝します。 今回のコラムにも書きましたが、生きる活力を一杯頂きました。ありがとう。 彼とは時々今も歴史の話をメールでしています。これからも宜しくです。
もう一人のYさんは以前お付き合いさせて頂いていた方ですが、遠くにいるのでもう会えないとは 思いますが、突然連絡をくれました。季節感の漂った優しい文面に癒されました。 通訳の仕事などをされておられ、元気にやっておられるようです。 全く連絡がないのでどうしてるのか? わからなかったですが…ほとんど同時に届いたメールに 私は嬉しく思いました。生きていると悪いこともいっぱいありますが、こんなにいいことも突然やって くるもんですね。感謝…
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<院長の独り言 パート60>
『私憤と公憤 ―賢者司馬遷はかく語りき 学ぼうー』
去年の暮れに雑誌を見ていました。中国の司馬遷は2100年前の人物で「史記」という中国至上最高の歴史を書く人物です.52万6500文字にわたる史記は130巻からなる有名な歴史書です。
この司馬遷は思わぬ不幸がありました。友人をかばう行為に出たため、時の権力者漢の「武帝」に男根を切り取られるというそれはそれは死刑判決にも等しい断罪でした。しかもその友人の罪も冤罪であったという事。つまりいわれのない罪を問われ、罪に服した形になりました。
これは現代でいうところのいわれのない理由での左遷、降格、リストラなどに匹敵します。皆さんがこんな目にあったらどう思うでしょうか? 自分に非がないのに人生が暗転していく...ここで大きな分かれ道が存在すると思われるのです。
人間裁くほうも完璧ではないのです。もちろん裁かれるほうもそうでしょうが...司馬遷は求刑を受けても、「私憤」を持ち出すことがなかった...父親も司馬談という人で武帝の「封禅の儀式」に口を挟み遠ざけられた人で怒りを買いました。息子に「後世に名を残せ」と遺言したといいます。
勘違いのない様に申し上げますが、けして武帝の冤罪を肯定しているわけではありません。むしろ起こってしまったこの事実をどう受け止めたか? その司馬遷の心に多くの人生を生きるヒントがある
という事を強調したいのです。
では私憤を司馬遷はどういう風に乗り越えたのか? 参考にしてみましょう。
「この書を完成させ山の奥深くに保存し、都の人に伝えることができるなら、自分の受けた辱しめの責め
を償うことができ、刑を受けたとしても悔いることはない」といったそうです。
つまり公共心の立場になる=公憤に置き換えることで私憤を乗り越えたのでした。
そこで思い出すことがあります。そういえば自分にもおんなじことが多々あったように思います。私も今でこそ組織のトップにおりますが、以前は大きな組織の中の下ずみを5年間、中間の仕事を5年間行いました。その間に別の人の行った事に対して、患者さんのたてになって、不当と思われる仕打ちをいっぱい受けました。若いときには私憤であったものもそのうち公憤が出てきたこともありました。
人間には欲があってなかなか治まらないものです。その欲との戦いのような気がしました。
一般に多くの現代人は有名になるために手段を選ばず,有名=財力(金)と考えている風潮があります。しかしここでも「私」があるばかりで「公」がない状態です。「公」とは「誰かのために」という行動スタンスを表し、それこそが幸せと成功の道なのだと教えてくれるのだ...
もう1つ大切なことは「常に恥を思い出し、冷や汗が出るほど服を濡らす」そんな憤りのエネルギーは実はマイナスのみではない。持続力のある高性能のエンジンである。しかし,この憤りのエンジンを正常に動かすには「私憤」であってはいけない。あくまでも「公共心」でないと大成しないと言っている。
どんなにマイナスに思えることも、忍耐で「私憤」を「公憤」に変えていけば必ず人の人生は好転する。
皆さんはどう思われますか?
2008/3/1 さいきじんクリニック. 齋木 豊徳
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<院長の独り言 パート59>
『バレンタインデーの秘密 ―男女の恋話をお教えしよう―』
この間ある女性が言ってました。そう言えばよく聞く言葉だなあって思いました。
「最近、いい男いないよなあ」
そこで男代表(勝手に思っているだけなんだけど...)としては、男をどうのこうの言う前に女はどうなんだよ? って思いました。
いきなり男VS女みたいになって申し訳ないですね。別に対抗しているわけでなく男がダメっていうことは女もダメって言ってるようなもんに聞こえちゃうんです。世の中には必ずプラスがあってマイナスがある.微妙なバランスから成り立っている事が真理であります。だからその女の人の発言は自分の女を否定している感じに聞こえちゃうんで。
世の中にはバランスが確実に存在していて男がいるから女がいる。上水道があるから下水道がある。昼があるから夜がある。ってことですよね。そんなときにまたまた本に出くわしました。
「日本にはいい男がいない」というまさしく挑戦的なその本には幾つかの理由が書いてありました。
そもそも男が減っていること、貧富の差の拡大、出会いのパターン変化、気に入った男に出会っても確率は低く長くいると必ず飽きるなど。また女も、自分の価値を見出せない。妥協が下手。男が馬鹿に見える。待っていたらいい男が現れると思っている。などいろんなことが書いていました。
そもそもどんぴしゃの一目惚れをする確率は0.002%しかないとの事です。
それともう一つ今日は面白いことを...最近おっさん化した女性が多いといわれるので...まず右手を出してみてください。「二D・四D比率の法則」というのがあって 人差し指と薬指の長さを比較して薬指が長い人は男性的です。
この指は男性ホルモンテストステロンの影響を受けます。ですから最近おっさん化が心配なあなた...是非みてやってください。
幸せがつかめそうな指でしょうか?皆さんはどうでしたでしょうか???
さてもう少しそこまでに恐怖のバレンタインディーが近づいてきますね。
2008/2/6 さいきじんクリニック. 齋木 豊徳
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<院長の独り言 パート58>
『あけましておめでとうございます ―7年目の冬―』
さいきクリニックから7年目、さいきじんクリニック.から5年目に突入です。
本当にいろんなことがあったものだ。と思っています。
先日、ある方から
「人間の心を変えることと過去は変えれない」という事を教わりました。
これは心理学の中では基本のようです。 成る程なあ……成る程君って感じでした。(成る程君がわかる人は多いに笑ってください)
私はわかっていたのだろうか? なんとなくはそう感じていたんでしょうね。
この独り言でもかつてから触れています。辞めていく人、病院を去っていく患者さんを
無理をして追いかけようとしたことがありません。すべてこの世の中に起こることは偶然を装って必然と思っているからです。自分の願い、思いと完全にマッチすることは難しいでしょう……願うこと、思うことこれも自由。ですがそのとおりでないといけないことはありません。
昨年はそうは言っても私の心の弱さ? 甘さ? からか引き止めたスタッフが数名いたなあ……まあそれも必然なんだろうなあ。心を変えれるほど私は立派じゃない。ましては神仏ではないので崇高でもない。単なる40代のおっさんなのです。
大きな会社の人がいっていました。50人の従業員を抱えたときに必ずがたつく時が来る
今、さいきじんクリニック.はそんな時かもしれません。それでもさいきじんクリニック. なんです。患者さんがおられます。回っていくのです。
来年の正月にはどんな文章を書いているのだろう。自然の大宇宙の理(ことわり)を胸に抱(いだ)いて……
さあ今年も幸せ探しのさいきじんクリニック.の一年が始まります。
7年目の冬によく紆余曲折がありながら今までやってこれたもんだと思ってやまないのです。
「あ はっぴー にゅー いやー」……
2008/1/2 さいきじんクリニック. 齋木 豊徳
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<院長の独り言 パート57>
『またまたクリスマスの時期がやってきた ―お別れの季節―』
人はどうして人を傷つけてしまうのだろう。人はどうして自分のしたい方向性をうまく表現できないのだろう...
もう数週間でクリスマスの時期が来ます。
好きだ、嫌いだと簡単に片付かない話です。
人間も住みにくい時代になりましたね。デモ大丈夫...
また楽しい季節になりました。別れもあるけど出会いもある。クリスマスはそんな難しいことではなくて冬なのに暖かい気持ちを人の心に運んできます。今年はコンセプト「一期一会 一日だけの「さいきじんランド」 サンタがうごめく、踊りだす」で行います。
そして例年の芸能人は皆さんにだけ早めに公開しましょう。
{千鳥さんがお越しになる予定です}
今年はまた新企画を盛りだくさんに行う予定ですので、是非皆さんお越し下さいな。
今年度が終わるこの瞬間にいつも今年度を振り返って多くの人と別れた淋しさとその多くの人の幸せを願わずにいられません。
幸せとはきっと恐れのないこと...恐れがある以上幸せではありません。「お金がない」「へそくりがばれるかもしれない」「彼女(彼)にふられるかもしれない」など幸せに程遠いのです。
私も患者さん、ご家族、スタッフ、そのご家族の全ての方がそのような気持ちになれるよう頑張っていきたいと思っています。
皆さんにとって今年のクリスマスもハッピーエンドがありますように、瀬戸町のイルミネーションに思いを乗せて少し早めの「メリークリスマス」...
2007/12/2 さいきじんクリニック. 齋木 豊徳
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<院長の独り言 パート56>
『男の気量 ―戦国時代に学ぶこと―』
先日、また話をしていました。自分にとって長い付き合いの大切な人たちと…
最近読んだ本の影響もあって今回はこのような話になります。40代半ばがきて「今まではできないことは何もない」くらいの強気だった自分の身体を心配することが出てきました。気力で持っていたのでしょうか?自分を信じる力は今でも充分ありすぎるほどかもしれませんが。今の日本経済の低迷、資源不足、環境問題 すべて悪化方向であります。
こんな時代に何が必要か???
先日の独り言でも触れた話題です。もう少し詳しく掘り下げて見たいと思っています。
先日は織田信長の話だったかなあって思いながら…
いつもこの安土桃山時代、戦国時代の終焉はドラマになり多くのことを教えてくれる歴史です。
「今の上に立つ者に必要な能力」は? と聞かれたら壊す、創る、守るの3つの能力をバランスよく持ち合わせていることであると教えられました。その時代時代に生きている人にとってのニーズがあり、そのニーズに敏感に情報を多く取り、把握をし何を優先させて行うか整理をして実行する 事が重要であるそういう人がその時代を制するということである。
ここにキーワードがいくつかある。
1.ニーズを読み取る力
2.情報として取り込み把握をして
3.プライオリティー(整理し優先を決める)
4.実行する
つまりニーズを広く知りよく吟味し優先順序を決め実行するということである。私は組織にいてよくここでつまずくのだと思う。多くの管理者たちがいるわけだがニーズを目標の大きさから違えてしまうこと、優先度の違いが生じること実行能力の違いから違いが生じるのだと思う。
そういった背景から戦国時代はつまりは信長が壊して、秀吉が創り、家康が守った時代だった。
徳川15代の時代の礎は実は3人の非凡人な武将によって作られたものであると思わざるを得ないと思い返す日々であるのです。
皆さんはどう思われますか?
2007/11/2 さいきじんクリニック. 齋木 豊徳
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<院長の独り言 パート55>
『哀しいくらい君が好きだから
―まじめはいいのか?―』
さて今回はセンチメンタルに「哀しいくらい君が好きだから」についてです。この独り言で取り上げてみるのにいいかなあ、と考えてます。
まず「哀しいくらい君が好きだから」ってどういう意味かというと私の尊敬するオフコースの小田和正さんの歌に「哀しいくらい」という歌があってその中の歌詞にこのようなくだりがあるわけです。
最近うちのスタッフをみていますと、抱きしめたくなるほど一生懸命でまじめです。まじめなのは一般に喜ばしいことなのかもしれません。しかしまじめすぎて自分を追い込んでいるパターンも多く見られます。私はまじめ過ぎないように生きてほしいと思っています。
古来から日本人文化として「まじめであること」は美学とされてきました。また集団から離れる人を異端児と表現してきましたが、今のような景気が悪くみんなと同じようにありたいという風土の日本では強い意志を持った異端児が変身します。
オンリーワンを持った改革者。戦国時代を思い出してみましょう。
織田信長といううつけものがいました。明らかな異端児ですが時代に必要な人物でした。一方、比叡山の焼き討ち、本願寺攻めなど通常の人が行わないことをしてきました。しかし天下布武という大きな目的のため突っ走りました。そして天下統一の寸前に倒れました。もと首相の小泉純一郎さんが「信長の棺」という本を愛読し、こよなく信長を愛しているのは有名なことです。
このように時代によって必要な人物がいるわけです。
まじめに生きることを否定する気はありません。しかし今の世の中には殻を破る必要性が高いときでまじめに生きることが苦痛な世の中にもなっています。いわゆるまじめ者が馬鹿を見るわけです。そんなこんなを思い巡らせて、正解を求めて正解でなければ自分を責めている人がいっぱいいます。そんな一生懸命に生きているのになぜ? って感じですが。。。みんなで一生懸命まじめな人が住みやすい世の中を作って生きたいものです。
きっと私は経営者であり、この世界をいっぱい見させていただきました。だからこそスタッフに期待しすぎている部分もあります。人が何とかしてくれる時代ではありません。だからうちのまじめな一生懸命なスタッフを見て せめて「哀しいくらい君が好きだから」という言葉を贈ることにしたいのです。
2007 10/4 さいきじんクリニック. 齋木 豊徳
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<院長の独り言 パート54>
『あせらず 諦めず 引かず
―先日の会で得られた多理論統合モデル―』
さて今回は少し学会で学んだお話をします。この独り言でこのような話題は久しぶりかもです。
先日のその講演会は一種変わっていて生活習慣病の方の「食事」「運動」など患者さんを指導する側(つまり我々医療従事者)も一定ではいけないということでありました。私はこの会でとても感銘を受けたことと,共感,反省があったので取り上げることにしました。
患者さんは病気と向き合う中で流れがあるようです。この講師の先生は運動を主体にお話しをされましたが、全ての病気に対してこのようなことはあると思っています。その流れは?前熟考期 ?熟考期 ?準備期 ?行動期 ?維持期 とあるようです。
それぞれの段階において医療従事者は態度と対策を変えないといけないそうです。
まさに人間学です。段階の違う患者さんたちにとっては不公平に見えやしないか? と不安はあるものの、やはり人間はコンピューターと違って感情があるだけにタイミングというものがあります皆さんも経験あるでしょう。タイミングが悪く失敗したことなど...
?前熟考期は問題の認識がない...否認や逃避燃え尽きの時期といわれていてこの時期に運動は大切だから...やりましょう...といってみても逆効果である
この時期は感情や考えを聞く、つまり基本の信頼関係を築く時期と言われていますしたがって、生の患者さんの声(たとえば糖尿病で目が見えなくなった方など)を実際話を聞くことです。「あのとき先生の言うとおりにしとけば目が見えんで済んだかもしれない」など聞けば感情的体験ができる。
また一般的な情報の提供(EBMに基づいた話など)を多く行うことのようです。そして?準備期になると 患者さんに「目標を提示する」事が重要なことになります。
?前熟考期では目標提示はいくらしても病気の認識がありませんから効果はありません。実際に準備期の糖尿病の患者さんにこのような話があります。患者さんはアメリカ人でスニッカーズという1本280kcalのお菓子を7本毎日食べていました。そこで医師の偉かったのはこの準備期のアメリカ人にどうしましょうか? とたずねたら患者さんは「全部辞めます」と答えたそうです。それをまた医師が否定しました。「ダメです。不合理です」と...そしてじゃあ6本にします。と答えたそうです.実際に6本毎週食べることを意識すると大変難しいのでこの患者さんは1週間ごとに1本ずつ減らすことができました。これ以降の行動期からはそんなに気にしなくてもうまくいくそうです。
さてここまで聞いて私の中に考えが思い浮かびました。人生、全て「あせらず,引かず,諦めず」その言葉は若い医師時代に仲良くしていただいた福島先生と話をしたことがあります。彼はこんな表現をしていました。「あせらず、しかし急いで」医療の現場ではとかくあせりたいことがいっぱいあります。しかしあせらずです。あせって失敗は大きくなることが多いからです。しかし患者さんやスタッフの目に見えないところではスピードの世界です。早ければ早いにこしたことはない。わざわざ,急ぐ必要もないのに上司の前でできる人間を装うためにあせって裏でのんびりサボる人も多いご時世です。実は逆なのです。患者さんを見るときも、地味な仕事をするときも見えるところではあせらず見えないところであせりましょう。きっといい結果が出ます。
皆さんはどう思われますか?
2007 9/3 さいきじんクリニック. 齋木 豊徳
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<院長の独り言 パート53>
『男と女 君は女性か?男性か? わかっているか?』
今の世の中、時々思う事があります。君は女性だが男性的ではないか? 原因は何でしょうか?
今の男性は女性の気をひきつけるために「優しさ」を装うことが多いようです。以前の優しさは難しい人だけど、こんな点がとても優しいとか…いいところを探そうと女性は努めてきた様に思います。
女性の気を引くためだけの優しさは長続きするでしょうか? 答えは×です。
そんな気を引くためだけの優しさなんかいらないと私は思っています。きっとここらが私は難しい人間と現代の女性に思われるところなんでしょうね。
一方優しさにつられた女性は、どうなるのでしょう。何でも女性中心になっていくので(うまい言葉が見つからないので)お姫様に早代わり…女性主導のデートや生活になります。男性が弱体化し、女性的になると思います。
大学教授でも、家では奥さんに頭が上がらない…それを職場で愚痴る先生を何人かみました。あらら…愚痴るんならどうかなあ?って思います。
私は今まで、環境問題についても自然と向き合うのが大切だと言ってきました。
自然に戻ることは極めて地球環境にとってもいいことですから…伐採や温暖化など地球は重症な状態です。
また男性と女性の関係もそれに似ています。
太古の時代から、男性はたくましくその上狩りをして戦い、食を稼いで来ました。
その食を女性は調理し、家族に食べさせ、母性と家庭愛で守るのが基本でした。もちろん全てがそれでいいと思いませんが、大筋は太古から男性女性のあり方は遺伝的に伝わってきているものであります。
男女平等…といっても女性は戦うことが大好きな人は極めて稀だと思います。
男性はお乳を上げることはできないし、子供を育てるのに適していないと思います。遺伝的な背景は人間のみ
が社会の発展によって変えてきた仕組みであります。今でも自然社会とくに動物の世界では多くはオスは外
で戦い、餌をとり、メスは中で育てて守る。
我々の仕事の中でも看護師というのは、それはそれは難しい仕事です。女性だからこそできることもあるからニーズは高い。しかし女性になった段階で仕事は生活の糧のため…になるのも無理はないでしょう。
看護師が好きなら男になりやすくなるのもわかる気がします。しかしきっと意識はしていないでしょうが、男性なのか女性なのかで「ふらふら」してしまうのも事実でしょう。
この間ある人に看護師として何を求めるのか?と尋ねられました。
私は患者様にも父親と母親が必要で、慈愛の精神を持った母親を求めると言いました。
仕事に就くということは好き嫌いを言っているのでは仕事ではありません。嫌な人がいても仕事は仕事。あの人がいるからできない…なら仕事に向いていない気がします.
男性よ。皆の思う優しさは本当か? 気を引くためのだけものではないか? それは優しさとは言わない。本当の優しさはピンチのときに発揮するものです。たびたび出るものではありません。また女性の方々。本当にしたいことは何ですか? 幸せな家庭ですか? それにはお金が必要ですか? 自分のしたいことをして家庭崩壊になるなら男性と同じ流れではないでしょうか?
男性は戦う、得る、子供を授ける(遺伝子を保存する)、女性は守る、育てる、支えるが基本と思います。賛否両論でしょうが、今の現代男性の女性化、女性の男性化がものすごく気になったので今回のテーマにしました。
2007 8/2 さいきじんクリニック. 齋木 豊徳
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<院長の独り言 パート52>
『組織は難しいね―利用するもの、されるもの―』
さて今回は「組織は難しい」についてです。経営を始めてやや6年が過ぎました。まだまだひよっこ。
最近とても多くの人がいるので目に付いて仕方ない事を話したいと思っています。
まずは話し合いの場で「好き、嫌い」をあからさまに表現する行為。非常に残念に思う行為です。「私はそんなのが嫌いです。好きです。」これははっきり言って知ったことではありません。その方の好き、嫌いなど組織の中の話し合いではなんら関係ありません。要は組織のためにみんなのためにいい事であったらそれが一番いいことなのです。
人間50人もいれば全ての人が好きなことはありません。非常に難しいですが、一定の規律を持って決定していく方法がベストでしょう。好き嫌いはちょっと格好悪い感じがしますね。
次に、頼まれていないことを使用とする人 自分の得意分野だから、自分を生かすために行う行為です。おそらく人のためになっていると自己を好きでいるために…また社会に役立つために…しかしかえって迷惑行為になる場合も多々あります。このケースも多いように思います。
多くの人が存在する場所は本当に混沌としていて、対極の秩序と背中合わせです。
組織は皆さんの思い一つできっといい職場にもなるでしょうし、しかしながら「私が…何とかしなければ…」という思いはかえって迷惑な場合もあるのです。
私はごく自然態で構えるようにしています。
辞めたい人は辞める。一生懸命やる人は残って頑張る…それでいいのだと思います。
自分ひとりのために組織は存在していません。私でさえそうです。
組織で守るものがあるとしたら、それは時間の厳守が最も大切です。
また自分を売り込んだり、自分の得意分野のみを探して遂行している人は悲しい思いになります。そこに苦労があるからこそ、見えない世界があるからこそ…チャレンジです。最近うちのスタッフでチャレンジを行っている人を数名見ます。むしろそういう人は新しい人ばかりでいわゆる昔からのスタッフには少なく、また年配になるとそういう意欲が低下しています。
組織は難しい… この答えは多くの人でできた組織だから… そして個人の思いを尊重するからではないか? 時間という秩序をまもり、できる限り自分の能力(爪)を隠していれば重宝されると
思っているのです。
2007 7/2 さいきじんクリニック. 齋木 豊徳
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<院長の独り言 パート51>
『夏が近づく八十八夜 思い出す恩恵を受けた素晴しき人たち“IF”。公の場で意見を発言する大切さについて』
先月は5月について書いた。夏が近づく八十八夜。この八十八夜は日本独自の雑節のようだ。
雑節というのはいわゆる季節の移り変わりを示すものの総称である。
雑説は他に節分・入梅・半夏生・二百十日・土用・彼岸などがある。
<ちなみに節分は立春の前日2月3日を表し、彼岸は春分(3月20〜21日)と秋分(9月23日)を中日としてその前後3日間をたした7日間である。また入梅とは黄経80度の点を太陽が通過する日6月11日で梅雨入りをあらわす日。また土用とは五行思想に基づく季節の分類で各季節の終わりの18日間。
春に木気、夏に火気、秋に金気、冬に水気を割り当てて残った土気を季節の変わり目に割り当てた。>さてこの八十八夜は立春から数えて88日です。つまり5月2日くらいのこと。5月5日は立夏なんです。皆さん知っていましたか?私は知らずにこの文章を書いていました。だから日本の歴史上の夏は五月なのだ と改めて感じました。八十八夜は日本独自の雑節のようだ。歌にもあるけれど茶摘みのことがある。
八十八夜に積んだお茶の葉は上等なもので飲むと長生きすると言われている。そして春から夏に移る節目の
大切な日で縁起のいい日とされています。さて先日、浜松へ日本腎臓学会に行ってまいりました。もはや腎臓病は全身病として扱われています。今最もホットな話題で「慢性腎臓病」という概念がありました。メタボリックシンドロームと慢性腎臓病、心疾患と慢性腎臓病など。多くのメディアその他の会合で発表し私はもはや言ってきたことですが、腎臓病があるかないか(蛋白尿レベルでも)はとても大切なことなんです。これからしばらくは医学的には腎臓病は注目されることでしょう。
さて浜松は良くご存知と思いますが、徳川家康が居城とした城です。曳間野(ひくまの)城と以前言われていた場所ですが浜松と命名したのは徳川家康で徳川幕府200年以上の礎えとなったといわれています。そうです、この土地はご存知と思いますが、うなぎもおいしくそしてお茶もおいしい場所です。
また脱線してしまいました。茶摘みからここまで脱線するとはさすがに妄想癖があるのかなあ?
さて、多少文学的な話をしましたが、「夏が来れば思い出す。はるかな尾瀬」ではなくて私はとある会社の人達を思い出します。 今もきっとこのホームページを見てくださっていると思っています。時期が過ぎていつかその人たちのことを書きたいと思っていました。会社の名前はIFとしておきます。
私は今でもその会社の方のことを尊敬しています。社長Oさんがまた素晴しい人で、現代にはなかなかいない器用な物知りの人物。さらにハートの暑い方です。そしてその右腕のMさんもとても甘い発声がたまらない素晴しい方です。
正直言ってとってもうらやましい師弟関係でした。夏にはお二人の象徴とも言えるさわやか(≧∇≦)?な
汗が感じられ、また「当院の夏祭りの思いで」も「クリスマス会など」もIFさんたちのバックアップあって作ってきました。
今は休止期間で大きなお付き合いはしていませんが、是非また仕事ができる時があると今でも思っています。IFさんからの最大の贈り物は「心」でした。それを理解できない人も多くいるでしょう。しかし私はそう今も思っています。今のさいきじんクリニックを形成するのに彼らの力はとても大きなものでした。特に臆することなく医療を全く知らない人の強みもあるかもしれないですが、一般会社経営についての意見を一杯頂いたのです。そんな時「それはないだろう」というようなこともありました。ですが意見です。医学的にどんなに外れていても意見を言う姿勢がすばらしいと思っていました。実は私の恩師大澤源吾教授もそのような方でした。教授の立場は微妙です。若い先生に「こんなことも知らないのか?」と思われることは教授の威厳に関わることです。しかし先生は平気で質問をしていました。私が少し恥ずかしいと思うことでも。なかなかできないことなんです。先生は実を取られていました。より多くのことを知るために。恥ずかしいことも恥ずかしくないといわんばかりに。
私が今ここで申し上げたいのは、会議で意見を言わない人は最も残念に思うからです。正しい間違いを言っているわけではありません。しかし得てしてそのような人は後になって不平不満をいうのが大体の今までのセオリーです。不平不満を言うくらいなら会議への参加をしないほうがましです。
意見を述べる、述べないは大きな違いがあります。述べないで文句を後に言う人にいいたいことです。まだみんなの前でクレームをたくさん言っている人のほうが性質はいい。意見が公然といえないから、メールでなら言えるからなど。後になって不満をぶつける全て自分の自信のなさがなせる業なのです。
わからない方もおいでかもしれないので、ここで創造してみましょう。友人でもいい。恋人でもいい。自分の言いたいことを相手がしまっておいて、あとで文句ばっかり言っている気分がいいですか?
しかし一方、発言する側も配慮が要ります。私はできるだけ3分くらいは待って発言します。トップですから、最初の発言はまずいのです。聞く耳を持たない形になりやすいので。とかく医療を知らない人に医療のことを言われると医療人は腹を立てることが多いです。それと同じですね。
とにかく意見を言う場を与えられているにも関わらず、意見を言わず後に不平不満を言う。それが多くの人に存在しています。
言い換えれば自分を信用できていないから意見が言えないのです。
自信は 「自分を信じる」 と書くのを忘れないで欲しいのです。そういった意味でIFさんは皆には自信家に写ったと思います。しかし意見を言わないより最もいいアドバイスそして何よりも我々に大きな提案と形を下さいました。
なかなか言えなかったことですが、IFさんありがとう。私どももこの3年の間に大きく飛躍してIFさん達に負けない組織になってまたあなた達と一緒に仕事できる力を蓄えていきたいと思っています。皆さん、意見が言える人間に是非なっていきませんか?それこそが自信なのです。そして幸せへの道だと虚栄心では長続きしません。自分を認めましょう。
追伸:ここのところ厳しいことばかり言ってきました。受け取り方によっては中傷に見えるかもしれません。ご気分を害していたらごめんなさい。できる限り素の心でこの文章を読み取っていただければ前向きな事を言っていることに気づいて頂けるのでは? と思っています。
2007 6/2 さいきじんクリニック.齋木 豊徳
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